体験談 2025.12.08
体験談vol.14 武井三津江さんの長女さん<続編2>

・患者さんの病名:直腸がん
・患者さんの年齢:87歳
・闘病期間:発症から逝去まで2年
・訪問診療を受けた期間:1年10ヶ月
・家族構成:長女さん、お孫さん(大学生)と3人暮らし。お孫さん(声楽家)が近隣在住
・インタビューに答えてくださる方:長女さん(60代、パート職)
・インタビューの時期:逝去から1ヶ月半後
目次
三津江さんのご逝去後はどんなふうに過ごしたのですか?
葬儀まで数日あったので、母は葬儀社の安置室に移動しました。葬儀までの間は毎日顔を見に行き、葬儀は親族だけで行いました。1日葬で葬儀から火葬まで行うのが今は主流のようですね。
なかなか珍しい展開だと思うのですが、翌日から長女の友人がうちに泊まっていました。長女のコンサートが翌日から開催で、コンサートに出席する長女の友人が地方から来ていたのです。長女の家に泊まる予定だったのですが、狭くて荷物が広げられないとのことで、「いいよ、うちにおいでよ」って誘って、最初は友人は遠慮していたのですが、結局うちに泊まりました。「おばあちゃんの寝ていた介護ベッドで寝る?」なんて冗談を言って、さすがに介護ベッドでは眠らなかったですが、母が以前使っていたベッドで眠ったんですよ。長女の友人もよくこの家で歌の練習をしていたので、母とも顔見知りだったんです。母を知っている人が集まって、賑やかに過ごしていたから、しんみりするよりよかったです。私も娘たちも悲しいけれど、それができるくらい吹っ切れているというか、動揺はなかったんですよね。数日そんな感じでワイワイ過ごしました。
母が亡くなった時は、大学の夏休み期間だったから私の仕事も休みで、大学生の孫も家にいたし、猛暑になる少し前でした。これより前でも後でも家族が死に目に揃うのは難しかったかもしれないし、暑すぎてぐったりしている母を見なくて済んだから、タイミング的には一番よかったんじゃないかなと思います。
亡くなった後は何が1番大変でしたか?
遺品整理が大変です。母はお茶をやっていたので、茶器も着物もたくさんあるんです。母の生前にやるわけにはいかなかったので、何年も、物によっては何十年もそのままにしていて、部屋が倉庫のようになっています。この整理が一番な大変で、しばらく続きそうです。もし、別で住んでいて、実家に通いながら片付けるのだと大変だと思いますが、私は同居だったから、今も住みながら片付けられるのは楽ですね。認知症になるとあちこちにお金を隠すようになると聞くので、お札が挟まっていないかなと確認しながら片付けています。

後悔していることはありますか?
健康診断の便潜血検査をしっかりやっておけばよかったと思います。母は数年前から検便を取ることをものすごく嫌がっていました。私がやろうにも、その頃は母にも恥じらいがあってトイレに入っているところなんて見せてくれませんでした。忘れないようにトイレに検便キットを貼っていましたが、取ってくれませんでした。今思えば、少しずつ認知症が始まっていて、便をトイレに流さずに取ることができなかったんだと思います。それで数年前から大腸がん検査はやっていませんでした。認知症のことで頭がいっぱいで、まさかがんになっているとは思いませんでした。検便や人間ドックをちゃんとやっていれば、早く見つかったかもしれないと悔やまれます。健康診断は本当に大事だなと身に染みてわかり、私も全部の項目をちゃんと受けようと反省しました。
がんと診断された時には結構大きくなっていて、肝臓にも転移がありました。主治医からは原発巣の手術の後で肝転移の手術も勧められていたのですが、原発巣の手術の際にせん妄になり、食事が全く食べられなくなってしまったので、もう二度と入院させたくないと思い、手術しませんでした。肝転移の方も手術していたら、どうなっていたんだろうと今でも考えることがあります。娘にそれを言うと、もう一度手術をしてもしなくてもそんなに寿命は変わらなかったんじゃない、と言ってくれて、少しは気が楽になりました。手術して寿命が少し伸びたとしても、母が痛い思いをして、入院生活も長引いただろうし、これでよかったのだろうとも思います。
在宅での介護や看取りを経験してどんなことを感じましたか?
母が幸せだったかはわかりませんが、在宅での介護や看取りのことを言うとみなさん「お家で亡くなれたのは幸せですね」と言ってくださいます。病院での最期は管だらけだったという話も聞きます。母は、最期はおしっこの管も抜いてもらって、何にもついていない状態だったので、楽だっただろうなと思います。香西先生に「もうおしっこも出ていないから、三津江さんが嫌がっていた管も抜いちゃいましょう」と言って、亡くなる数時間前におしっこの管を抜いてもらいましたが、そういう準備や、私たちに伝えてくださる情報が的確で、なんで先生はなんでもわかるんだろうと不思議で、家族みんなで先生は何者なんだろうと話していました(笑)
家での看取りというのは、母にとっても私たちにとっても、最善の選択をしたと思っています。本当に亡くなってから悲しくないですね。きっと母はこの辺にいるんでしょうけどね。
みなさん介護って本当に大変だと思われると思いますが、たくさんの人が関わってくれて、助けてくれたので、私はあまり大変なことはなかったです。昼間はデイサービスに行っていて私は好きなことができていましたしね。
大変だったのは、歩けなくなった時にトイレに連れて行けなくなったことと、夜に母がベッドから足を投げ出してそのままずるずるとベッドから何度も落ちたことです。でもその時も、娘がネット検索して、床に転がっちゃった人を介助者1人で起き上がらせる方法の動画を見て、1人でベッドに戻してくれました。娘2人とも協力的だったので本当に助かりました。2人とも明るくて、なんでも笑い話にしちゃうので、トラブルが起きてもしょうがないなぁと笑って乗り超えられました。

仕事と介護の両立はどんなふうにされていたのですか?
5年前に母と同居する際に、時間に融通がきく職場を選びました。働かなくてもいいかなとも思ったのですが、母の介護だけをして過ごすのは性に合わないなと思って、リフレッシュのためにも働くことを選びました。職場は大学の学食なのですが、母をデイサービスに送り出してから出勤できて、母より前に戻れて、日程もシフト制で調整がつきます。長期休暇の間は休みだし、同年代の人が多く勤めていて、みんな介護の問題や孫の世話している人ばかりだったので、母の体調が悪い時は誰かシフトを代わってとお願いすると、みんな快く引き受けてくれて、頼みやすかったです。本当に周りの人にも恵まれましたね。普通に元気にしている時は分かりませんでしたが、母の体調が変化してきて、たくさんの人に支えられているのだと強く感じました。
最後の方は事情を説明してお休みをいただき、母は大学の夏季休暇中に亡くなったので、じっくり向き合う時間も取れました。今はまだ職場には復帰せず、自分を癒す時間にしています。
お家での看取りは他の方にも勧めたいですか?
介護する人の年齢とか体力とか、仕事との両立ができるかとか、一緒にやってくれる人がいるかとか、同居かどうかとかによるかもしれません。あと、患者さんの病気によって大変さも違うでしょうし。
一緒に暮らしていて、隣で眠っていて突然苦しんだり、朝起きたら息を引き取っていたりしたら、という怖さは私もありました。でも、私1人じゃなくて娘もいるし、香西先生もいて、いつでも電話をくださいとか、怖くないですよと言ってくれたので安心でした。
家で介護をすることで、家族関係が不仲になったり、誰か1人に負担がかかったりしてしまうようなら、施設や入院を選んでもいいと思います。私の場合は、母の子は私しかいないし、母のことが大好きでずっと一緒にいたかったから家を選びました。母が入院している間は毎日面会に行っていましたが、それでも会えない時間の方が長いから寂しかったです。そうそう、入院中は寂しくてしょうがなかったのに、今はもういないから寂しくはないです。母とお別れするときに、私はしっかりするよと約束したので大丈夫です。これからは子どものために頑張ろうと思います。遺品整理が終わったら、仕事も頑張ろうと思っています。

長女さんは以前、老後は高級老人ホームに入りたいと言っていましたが、今も同じお気持ちですか?
娘たちに面倒をかけたくないからではなく、私は私の人生を楽しみたいから、高級老人ホームに入りたいですね。娘たちは娘たちの人生を楽しんでもらえればいいと思います。
母が亡くなったときに私の残りの人生の計算をしてみました。寿命はあと20年から25年くらいあるとしても、認知症になったり、足腰が弱くなったりして動けない期間があるから、あと10年くらいの間に思い切り好きなことをやらなくちゃいけないんだと思いました。人生はどうなるかわからないですが、元気なうちに色々計画を立てて楽しんでいきたいなと思いますし、母のように亡くなれたらいいなと思います。母の死を通して自分の人生像が見えてきました。介護をして人生観が変わりました。
初めは家で看取るなんて私の人生設計にはなかったんです。成り行きでそうなっちゃいました。退院してきた時は、万が一のために緩和ケア病棟も登録したし、老人ホームや療養型病院も探していましたが、母はどこにも行く気はなかったし、いつの間にか、家で看取る覚悟ができていました。
これから在宅介護を考えている方に、伝えたいことはありますか?
介護していた時は、初めての経験ばかりで、誰に聞いたらいいのか、何をどう信じていいかわからず、右往左往しました。訪問診療や訪問看護が始まってからは、まず先生に聞けばなんとかしてくれるので、とっても安心できました。先生が言ってくれることが、励みになり、自信になり、糧になって、今があります。香西先生を信じてしっかり介護してください。

編集:児玉紘一
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2025年某月