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体験談 2025.01.31

体験談vol.7 青木桂子さんのご主人(前編)

体験談vol.7 青木桂子さんのご主人(前編)

<写真中央> 青木桂子さんのご主人
<写真右> むすび在宅クリニック 院長:香西友佳(こうざいゆか)
<写真左> むすび在宅クリニック看護師

・患者さんの病名:胃がん
・患者さんの年齢:65歳(享年)
・闘病期間:発症から逝去まで9ヶ月
・訪問診療を受けた期間:5ヶ月
・家族構成:ご主人と2人暮らし。同じマンションの別室に長女さん、次女さんが在住
・インタビューに答えてくださる方:ご主人(60代、自営業)
・インタビューの時期:逝去から約1年後

笑顔の男性

桂子さんは娘さん2人を育て上げた後、ご主人と仲睦まじく穏やかな日々を過ごしていました。30代の頃に精神疾患を発症し、不安感からひとりで過ごすことができなくなりましたが、それから30年以上の間、仕事の時以外はご主人が片時も離れず、ずっと一緒に過ごしてくれていました。

64歳の年の1月に健康診断でヘリコバクター・ピロリ菌陽性を指摘された矢先、みぞおちの痛みを自覚され、検査を受けたところ、進行胃がんと診断されました。この時点で根治手術は難しいと判断され、その年の4月から抗がん剤を開始しましたが、それから数日後に強い腹痛に襲われ、緊急入院となりました。検査時よりさらにがんが進行して胃に穴があいていることがわかり、穴を塞ぐための緊急手術を受けました。手術は成功したものの、静脈血栓ができたり、がんから出血したりして入院生活が長く続きました。桂子さんは病室で1人で過ごせる精神状態ではなく、入院直後からご主人が泊まり込んでいました。また、当時はコロナにより面会制限があったため、娘さん達は桂子さんに会うことがほとんどできませんでした。

主治医から抗がん剤の再開は難しいことを告げられた桂子さんは「お家で家族だけの時間をゆっくり過ごしたい」と希望され、緊急入院から約2ヶ月後の6月にようやくお家に帰ることができました。娘さん達は桂子さんの退院に向けて、桂子さん夫妻が住むマンションの別室に引っ越してきました。

退院日から当院の訪問診療を開始しました。桂子さんは、好きなものを食べることと、苦しくなく過ごすこと、できるだけ最期までお家で過ごすことを希望されました。退院から約1ヶ月間は時々軽い腹痛はあるものの、比較的好きな物を食べることができ、落ち着いた日々を過ごせました。

7月末から持続的な腹痛が出現し、腸閉塞と診断。腸閉塞の原因は腹膜播種による腸管の癒着と考えられ、治療法は食事を控えて腸を休めることしかありませんでした。食べることが大好きな桂子さんにとって、食事ができないことはかなりの苦痛でした。また、一般に腸閉塞の治療で絶食期間中は点滴で水分や栄養を補給するのですが、桂子さんは針を刺されることや体に異物が入ってくることに対する恐怖心から看護師が同席していないと点滴ができないということも治療を難しくさせていました。相談の上、医療用麻薬とブチルスコポラミンという腸の蠕動を抑える薬を内服して腹痛を緩和しつつ、水分補給のための点滴は桂子さんの耐えられる範囲で行い、腹痛が治ってきたら通常のペースよりは早く流動食から食事を再開するという方法を取りました。食事を再開して数日で腸閉塞が再燃しました。それからは再発と絶食何度も繰り返し、だんだん腸閉塞が治りにくくなっていきましたが、桂子さんは食べることを諦めませんでした。

10月中旬から腹痛や嘔気が強まり、より重篤な腸閉塞が起きていると考えられました。これまでの治療法では緩和できず、医療用麻薬の持続皮下注射を開始しました。当初は24時間続く麻薬の点滴に強い抵抗ありましたが、薬剤により腹痛や嘔気が落ち着いたことや、ご主人の心強いサポートで乗り越えられました。日に日に水分の摂取も難しくなり、ベッドで横になって過ごす時間が長くなりましたが、ご主人は歩けない桂子さんを抱っこしてトイレに連れて行ってくれました。11月初旬から昏睡状態となり、ご主人と娘さんたちの見守る中、桂子さんは静かに旅立たれました。

ご主人も慢性疾患をお持ちで定期的な内服薬が必要でしたが、桂子さんにつきっきりで介護されていたため、ご自身の通院が難しく、当院でご主人の診療も行っていました。そして、いまも当院への通院を続けていただいています。桂子さんのご逝去から約1年後のある日、在宅での介護と現在までの移り行く心境についてご主人に語っていただきました。

話す女性と男性

 

桂子さんはどんな方でしたか?

 

本当に素晴らしいひとでした。彼女以上のひとはいません。彼女は芯がすごく強くて、才色兼備でパーフェクトな女性でした。出会いは当時勤めていたデパートで、近寄りがたい雰囲気の彼女をみんな遠巻きに見ていましたが、僕は彼女が信号待ちをしていた時に声をかけて、彼女の友人と3人でお茶をしに行って、それを機にどんどんアプローチしました。当時の同僚にはお前すごいなと言われましたよ。
色々な夫婦のかたちがあると思いますが、妻とは出会って43年間、一度も喧嘩をしたことがないんです。僕が叱られることはありましたけどね。いつも彼女の言うことが正しい。独立する時もマンションを買う時も彼女の勧めがあったし、会社の経営に関しても彼女の助言を頼りにしていました。人生で大事なことは全て彼女が決めてきました。僕の人生にとってかけがえのないひとです。

彼女は食べることが大好きでした。腸閉塞で固形物が食べられない時はつらそうでしたが、少し腹痛が治ると、食べたいと言い出して。食べている妻を見ているのが幸せでした。

話を聞く女性

桂子さんの闘病中、青木さんはどんなふうに過ごしていましたか?

彼女の病気が発覚するより前から、四六時中彼女と一緒に過ごすことは僕にとって当たり前の日常でした。ですから、一緒にいること自体はなんとも思わないし、介護が大変だと思ったことは一度もありません。彼女と一緒に入院した期間も全然苦ではありませんでした。病院からは海が見えて、まるでクルージングをしているような時間でした。仕事もリモートでできるので、特に支障はなかったですね。

自宅に帰ってからも、彼女は亡くなる数日前まで歩いてトイレに行っていたし、点滴や鎮痛剤の注射などの処置は看護師さんがやってくれていたので、僕がやらなければいけないことはそんなに多くはありませんでした。起きた時間、食べたもの、排泄のこと、痛みなどの症状があるかなどをExcelにまとめて、毎日MCS( Medical Care Station:医療者と情報共有するための医療用のSNS)に投稿していました。

ずっと一緒にいると、変化に気づかないものですね。今振り返れば、だんだん食べられなくなり、横になって過ごす時間が長くなっていったとわかりますが、当時はそんな実感はなく、見ていてつらいという感覚もありませんでした。最期まで知り合った頃と同じで、何も変わらない彼女でした。考え方はひとそれぞれだと思いますが、僕は、がんは猶予の期間があるのが良かったと思います。最期まで一緒にいられて、僕には後悔はありません。

積み上げられたアルバム

編集:児玉紘一
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2024年某月

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