体験談 2025.01.31
体験談vol.7 青木桂子さんのご主人(後編)

<写真中央> 青木桂子さんのご主人
<写真右> むすび在宅クリニック 院長:香西友佳(こうざいゆか)
<写真左> むすび在宅クリニック看護師
・患者さんの病名:胃がん
・患者さんの年齢:65歳(享年)
・闘病期間:発症から逝去まで9ヶ月
・訪問診療を受けた期間:5ヶ月
・家族構成:ご主人と2人暮らし。同じマンションの別室に長女さん、次女さんが在住
・インタビューに答えてくださる方:ご主人(60代、自営業)
・インタビューの時期:逝去から約1年後
目次
桂子さんはなにかやり残したことや後悔はあったでしょうか?
6月に退院して家に帰ってきた時に、「なにかやりたいことはある?」と聞いたら、彼女は「何にもない」と答えたのです。「全部やってきたから。思い出はたくさんあるから、いまから新しい思い出を作る必要なんかない。会いたいひとも、行きたい所もない。ふたりで過ごせたら、それでいい」って。「何が一番楽しかった?」と聞いたら、「子ども達が学校から帰ってきて、その日あったことを聞くのが幸せだった」と答えました。
妻とは43年間、誰よりも時間を共有してきましたが、それだけ一緒にいても、妻の気持ちが全てわかるわけではありません。どうしたって、動けない、食べられない妻の気持ちは、妻にしかわからないものでした。ある本に「教養とは相手の気持ちになることだ」と記されていて、本当にその通りだなと思いました。言うのは簡単でも本当に難しいことです。僕は相手のことを考えずに行動してしまって、よく彼女に怒られていました。彼女がいなくなってからも、彼女ならどう言うか、どう行動するかをいつも考えています。彼女が人生の土台を作ってくれたから、大丈夫です。これからの人生は自分の時間にしようと思っています。
最期はどんなふうに過ごされたのですか?
彼女は「娘たちも呼ばなくていい。ふたりでいたい」と言いました。だから、彼女の意思を尊重して、意識がなくなるまでは娘たちを呼びませんでした。香西先生から今日が峠だと聞いて、昏睡状態になってからこっそり娘たちにも寝室に来てもらい、4人で過ごしました。彼女はずっと目を閉じていたのですが、亡くなる前に目を見開き、僕たちの顔を見て、それからすーっと息を引き取りました。病院ではそういう時間は持てなかっただろうだから、家で最期を看取れたことは本当に良かったなと思います。
青木さんは桂子さんがいなくなってからの1年をどのように過ごされてきましたか?
1年経ちますが、いまでも彼女が死んだという実感はないですね。最期に過ごしていた寝室に行ったら、彼女いるような気がします。いまも寝室に入ることができなくて、リビングに布団を敷いて寝ています。彼女のものを片付ける気持ちにはなれなくて、衣類も部屋もそのままにしています。彼女は病気がわかってからアルバムを整理して、テレビ台の上に3冊置かれているのですが、まだ一度も開いていません。見たいとは思っているのですが、写真はその時の情景や思い出が全部蘇ってしまうから、それには耐えられないですね。
妻が死んだことは受け入れています。毎朝遺影を見て、お経を読んで、出かける時には小さな位牌を鞄に入れています。彼女の遺骨はそのまま家に置いています。僕が入る時に一緒にお墓に入れてもらおうと思っています。彼女のことを考えない日はないです。
かといって、ずっと悲嘆に暮れているかというと、そうでもないのです。娘たちは「ママが死んで、パパはどうなってしまうのだろう?」とずっと心配だったそうです。でも妻は、「あなたは大丈夫よ。B型だもの」と言っていました。僕もその通りだと思います。B型は楽天家だと言うでしょう。僕はかなり前向きなタイプなんです。同じく妻を亡くした作家のエッセイを読みましたが、その方は何年経ってもずっと悲しくて、死にたいくらいだと記していました。でも僕は、割り切れるというか、くよくよせず、自分の時間を過ごせています。
介護をしながら、彼女が亡くなってからやろうと思うことをこっそりメモしていました。誰に会おうとか、どこへ行こうとか。この1年はそのメモに書いたことをあらかたやりました。彼女が精神的に不安になってからの30年は、私も交友関係をほとんど絶っていて、1人で出かけることもありませんでしたから、学生時代の友達には何十年ぶりに会ったのですが、みんな変わっていなくて、一気に時間を飛び越えてあの時に戻れて、とてもいい時間が過ごせました。あとは行ってみたかった知覧町に行ったり、ゴルフ教室に通ったり、ピアノも再開してみたり。娘たちと一緒に妻の生まれ故郷の礼文島にも2回行きました。妻は帰りたがらなかったのですが、娘たちはママの育ったところを見てみたいと言ってね。冬は極寒ですが、短い夏には観光客も多く、固有種の花が咲き、魚介類が美味しくていいところでした。
仕事はもういいかなとも実は思っていたのですよ。来年で創業30年になります。一線を退いてもいいし、M &Aをしてもいいし。だけど、やっぱり会社があると出社するために1日1回は外に出ますから、外出の機会を維持するためにももう少し続けたほうがいいかと思ってもう少し続けることにしました。何より、自分が健康でやりたいことができることは幸せだと思います。
いまを楽しむ気持ちと桂子さんに対する想いにはどう折り合いをつけているのですか?
ひとりでいて、誰とも話さないとだめで、できるだけ予定を作って出かけるようにしています。あと、娘たちがそばにいてくれるのは大きいです。妻の退院に合わせて娘たちが同じマンションに引っ越してきてくれて、いまも僕のことが心配だからとここに住んでくれています。ちょっとSNSの返信が遅れると、すぐ様子を見に来てくれます。
長女が飼っている犬を時々連れてきてくれるのですが、癒されますね。ペットセラピーというのはすごいですね。犬に「君は青木桂子さんの生まれ変わりですか?」と話しかけちゃうこともあります。犬が話し相手になってくれます。
娘たちにはパパ、ママと呼ばれていたのですが、長女が犬を連れてきたときに「ほら、じいじだよ」と呼ばれました。自分が「じいじ」と呼ばれることにすごく驚きました。今度次女が出産するのですが、本当に「じいじ」になるのだなと、実際孫に会ったらどういう気持ちになるんだろうと、楽しみです。折り合いがつけられているのかはわからないけれど、こうやって誰かと過ごす時間があり、出会いがあり、家族が増えていくと、人生という時間が紡がれているのを感じます。
これからどんなふうに生きていきたいですか?
これから20年、30年の時間があるかもしれないけれど、もしかしたら急に病気が見つかることもあるかもしれない。だから、思い立ったら即行動です。
僕にはやりたいことをやれるだけの健康と時間があり、付き合ってくれる娘たちや友人がいて本当にありがたいことだと思います。再婚は考えもしないです。まぁでも、出会いはわからないけれど。妻は、涙は嫌いだと言っていました。嬉しい、楽しい、元気な姿を彼女に見せたいと思います。
編集:児玉紘一
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2024年某月