コラム 2025.01.31
2024年を振り返って

むすび在宅クリニックは2023年6月に医療法人社団コンパスの分院として誕生し、2024年1月1日にコンパスから独立して、新たな1歩を踏み出しました。法人という後ろ盾がなくなり、患者さんの診療も、従業員の生活も、クリニックの経営も全て自分にかかってくるというのは相当な重圧なのだろうなと、独立前はドキドキしていました。しかしながら実際に始めてみると、従業員や他の事業所の方々や、患者さんたちに支えられて、私自身はやりたいことを自由にさせていただいた1年だったなと思います。
2024年に診療を開始した患者さんは約130人で、コンパス時代からの延べ患者数は約200人になりました。2024年に在籍されていた患者さんのうち、がんの方は約100人で全体の7〜8割。1年間に亡くなられた患者さんは約70人で、そのうち在宅でのお看取りを選んだ方が8〜9割でした。と、知りたい方もいるかなと思いデータを出しました。これまで関わっていただいた皆様や、これから関わることになるかもしれない皆様の参考になれば幸いです。そして、これだけの患者さんや周囲の方々と本当に多くの出会いがあった1年であったなとしみじみ感じています。
こうして振り返りながら患者さんのリストを眺めていると、ひとりひとりの患者さんの顔や、発した言葉、いろんなエピソードが浮かびます。いま訪問中の患者さんのことはいつも気になりますし、他界された方のことも、ご遺族のことも、折に触れて想っています。旅立った患者さんのことを考える時には、「〇〇さん、元気かな。いまごろ楽になって、好きなことがやれているといいな」と願っています。亡くなったからといってその方との関係性が完全に消えるわけではなく、形を変えてその方が自分の中に存在し続けていると感じます。患者さんひとりひとりとのつながりの中で少しずつ影響を受け、いまの私があります。
私が関わることの多い終末期には、苦しい、つらい症状や気持ちを抱えている方が多くいらっしゃいますが、自分の心の中にいる患者さんは穏やかな笑顔の方が多いです。ひとの死に日々向き合っていてしんどくないのかと聞かれることがありますが、あまりそうは感じていません。看取りは患者さん本人にとっても、親しい方にとっても大きな喪失の時ですが、それでも、患者さんは最期の間際まで「死に向かっている」というよりは「必死に生きている」姿を私たちに見せてくれます。懸命に、全てのエネルギーを使って、これでもかというくらい生きようとする姿を目の当たりにすると、亡くなった後もその強いイメージが心に刻まれます。終末期医療は「治す」医療ではないため他の医療分野とは一線を画していますが、それでも「生きる」ことに関わっていて、決してネガティブなものではないと思います。
患者さんのご家族にも、患者さんが頑張って生きているのだということを共有したくて、何人かのご家庭で看取りの間際にご家族に聴診器をつけてもらい、患者さんの心臓の音を聴いてもらいました。ご家族は目に涙を浮かべながら、鼓動にじっと耳を澄ませていました。その音には、話すことは難しくなった患者さんからの強いメッセージが込められているように思いました。患者さんの死を前にして、私はあまりにも無力です。できないことの方が圧倒的に多いと感じます。それでも、何かできることはないだろうかと常々考えています。
終末期医療や緩和医療では、他の医療分野と比べてガイドラインやルールが少なく、一概に緩和ケア医と言っても十人十色です。理由は3つあり、1つ目は、日本においては緩和医療の歴史が浅く、緩和ケア医の数も1500人程度と少なく、まだまだ発展途上であること(比較例として、2023年に日本でがんにより亡くなった方は約38万人。2024年3月時点での日本の医師数は34万人)。2つ目は、患者さんの状態が千差万別で標準化が難しく、倫理的に臨床研究も行いにくく、定型的な対応もしにくいこと。3つ目は、緩和医療では医学的に最適なことがその患者さんにとって最善だとは言い切れず、方針決定に最も重要なものは患者さん自身の気持ちや人生観だということです。ですから、ひとりひとりの患者さんと向き合いながら、その方のその時の状況においてのベストを、その患者さんを支えるみんなで模索していくのが緩和医療だと思います。
どの患者さんの時も、私はすごく悩みます。過去の経験が役に立つこともあるけれど、全く未知で学問書でも触れられていない新しい状況に遭遇することも毎日のようにあります。勤務医の時は医師が悩んでいる姿を患者さんに見せると不安になってしまうのではないかと思い、心の中では慌てていても冷静に見えるように振る舞っていました。しかし、最近は悩んだり、わからなかったりしたら、それを素直に伝えるようにしています。私自身も経験したことのない状況に置かれている患者さんに対して虚勢を張るのも無理があるし、変に距離を取るよりも自分が素直になったほうが、患者さんも素直になってくれるのではないかと思ったからです。また、患者さんが私に求めているものが医学的な正しさではなく、苦しい状況でも一緒に過ごしてくれる仲間なのではないかと感じたことも理由の一つです。
こう思うに至った、反省すべき出来事がありました。進行がんの40代女性の患者さんで、両下肢に皮膚表面積の2/3に及ぶ重篤な潰瘍ができてしまっていた方がいて、なんとかよくできないかと、注射器で作った陰圧装置を用いたり、軟膏の使い方を工夫したりしてケアにあたっていたのですが、その患者さんから「先生は私の足にしか興味がない。私はもっと先生と漫画や小説の話がしたかったのに」と言われました。こちらが勝手にこの患者さんの一番の問題は下肢潰瘍だと思い込んでいて、患者さんの気持ちを置き去りにしてしまっていたのだと気付かされました。身体的な苦痛は、精神的な苦痛と比べて他覚的に評価しやすいことや、対処がしやすいことから、ついそちらに目を向けがちですが、患者さんの気持ちがあってこその緩和ケアであり、また、医師としての視点だけで患者さんを診ていては不十分なのだなと学びました。
同様に、患者さんとのコミュニケーションで繰り返し自分に言い聞かせていたことがあります。それは、患者さんが発する「なぜ」は言葉通りの質問ではなく、まず感情の表出かもしれないと考える、ということです。「なぜ」と問われると医学的説明をしたくなるのですが、終末期や救急などの心身の状態が大きく変化する場面において、患者さんは予想だにしないことが起こり、それを受け入れられず、混乱して「なぜ」と発していることもあります。その答えられない「なぜ」から逃げないこと。そのわかり合えない状況で、それでも、少しでも近づこうとする姿勢が求められているのだろうなと思います。
こうして振り返ってみると、2024年は患者さんとの精神的な関わり方の面で多くの反省と学びがありました。今後も日々勉強して新しい知識を取り入れて、たくさんの経験をして、より良い医療を提供できる医師になりたいと思います。ですが同時に、いまの私にしかできない医療があるとも思うのです。緩和医療は、手術の技術のようにやればやるだけ身につくものではなく、いまという瞬間の中でしかできない、ひととひととのセッションです。中学生の時と大人になってからの交友関係のどちらがいいかを比較できないのと同じようなものです。だから、あの時こうしていればという反省は多々ありますし、もっとベテランの医師が主治医だった方が良かったのだろうかと思うこともありますが、ひととひととの関係性に優劣や正解はないのだから、その患者さんの人生に関われたことに感謝をして、いまの自分にできることをしようと考えるようにしています。
2025年の抱負は「生活に芸術を取り入れて、文化的に生きる」です。私が観劇に行ったり、ジャズを聴いたりするのなんて、患者さんやクリニックと全然関係ない、と思われるかもしれませんが、いやいや、そうでもないんです。いろんな考えに触れること、語彙を増やすこと、コミュニケーションの多様性を知ること、言葉にならない思いをどう伝えるか探ること、それらはすべてこれから関わる皆様との関係性に大きく影響すると信じています。医師としての自分と、それ以外の自分の境界を取っ払って、私というひとりの人間として在宅医療に取り組んでいきたい。その想いから、自分の人間性を深める努力をしていきたいと思います。
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳