体験談 2023.10.19
体験談vol.1 石橋恵三子さんの長女さん、次女さん<前編>
・患者さんの病名:悪性リンパ腫、急性硬膜下血腫
・患者さんの年齢:82歳(享年)
・闘病期間:発症から逝去まで19日間
・訪問診療を受けた期間:11日間
・家族構成:ひとり暮らし。近隣に長女さん、次女さんご家族が在住
・インタビューに答えてくださる方:長女さん(会社員)、次女さん(会社員)
・インタビューの時期:逝去から約4ヶ月後
石橋恵三子さん(享年82歳)は、特に大きな持病のない方で、5年前に夫を大腸がんで亡くしてからは都内のマンションでお一人暮らしをされていました。
80代とは思えない活動的な方で、お仕事もまだまだ現役。テレビ番組のお花やお料理などの「消えもの」を50年以上手がけ、「徹子の部屋」のお花は第1回放送時からずっと担当してきました。「徹子の部屋の花しごと」という本も出版されています。
近隣に長女さん、次女さんがお住まいで、おふたりともよく連絡を取り合い、家族ぐるみのお付き合いがありました。恵三子さんのきょうだいは6人中4人がご存命で、それぞれの誕生日には全員で集まって食事会をするほど仲の良いきょうだいでした。
倒れる前日、恵三子さんは次女さんご家族と一緒に温泉旅行に行かれていましたが、なんとなくぼーっとしていて元気がない様子だったそうです。旅行から帰った翌日、次女さんが電話をかけた際に恵三子さんの様子がおかしく、恵三子さんのお家へ駆けつけると、恵三子さんは玄関にうずくまっていて、意識が混濁している様子でした。すぐに救急車で病院に搬送され、緊急入院。検査の結果、悪性リンパ腫という血液のがんと診断され、ステロイドによる治療を開始しました。しかし、入院6日目に容態が急変し、CTで急性硬膜下血腫(頭の中の出血)が見つかりました。回復は見込めない状態で、コロナ流行期で全く面会もできないため、主治医からは在宅療養を提案されました。長女さんと次女さんはお家で恵三子さんの介護をすることを決意し、入院9日目に恵三子さんのお家に退院することになりました。
病院から退院する時には、恵三子さんは意識がほとんどなく、自分で水を飲むことも、寝返りを打つこともできず、喀痰吸引などの刺激でかろうじて顔をしかめる反応がありました。長女さん、次女さんをはじめ、ご家族の方が総出で介護にあたり、医師や看護師も連日訪問し、退院直後に発症した肺炎の治療や、栄養補給のための点滴や喀痰吸引、お着替えや体位交換などのケアにあたりました。退院から11日目、長女さん、次女さんの見守るなか、恵三子さんはご自宅で逝去されました。お亡くなりになる瞬間、それまで昏睡状態だった恵三子さんはまぶたを少し開けて、なにかを伝えたいかのようにおふたりに眼差しを向けたそうです。
恵三子さんの逝去から約4ヶ月後のある日、恵三子さんの担当医であった香西が、恵三子さんのお宅を訪ねました。そして、長女さんと次女さんに在宅での介護と看取りに関して、本音でお答えいただきました。
プロローグ
香西:
お久しぶりです。最近の生活はどうですか?
長女さん:
ようやく日常に戻ってきました。でも、母のことを全く考えない日はないです。仕事の時は考えていないですけれど、ふとした時に浮かびます。まだ色々とやらなきゃいけないこともあって。相続の手続きとか母に関する書類の作成とか。
次女さん:
私も母のことを考えない日はないですね。母宛の郵便物も届くし、風通しのためにも2週間に1回くらいは、こちら(恵三子さんのお家)に来ています。まだしばらくは父や母との思い出が詰まったこの場所を遺しておくつもりです。
香西:
私は久々に恵三子さんのお家にお邪魔して、恵三子さんがここにいないことが不思議に感じます。恵三子さんの思い出が詰まった、素敵なインテリアのお家が遺ることは私もとても嬉しいです。
介護をしている期間のことについて
香西:
どうして在宅介護を決意されたのですか?
次女さん:
母が入院してから一切面会ができなくて、どんな様子なのか、どんなふうに過ごしているかも全くわからなくてすごく不安でした。入院中に2回ビデオ電話をして、その時に母が「帰りたい」とはっきり言ったのです。そのあと主治医の先生から、入院していてもできることはもうないという説明を受け、在宅という選択肢もあると提案されました。余命は短いかもしれないともお聞きしたので、先生からの病状説明の後即座に在宅介護を決め、翌日に退院しました。夫にベッドをすぐに搬入してくれる業者を探してもらって、退院前日23時までベッドの組み立て作業を行なっていただきました。ばたばたでしたが、一刻も早く連れて帰りたいという想いでした。
長女さん:
病院に入院していて会えなかった期間は本当につらかったです。母のためにというより、私たちが会いたいから在宅がいいなって思いました。医師に言われてはじめて、「ああ、お家で看られるんだ」って思ったので、選択肢を提示してもらえたことに本当に感謝しています。
香西:
即座に決意されたのですね。おふたりの行動から想いの深さが伝わってきます。恵三子さんは発症まですごくお元気で、要介護認定も受けていなかったので、すぐに介護サービスを利用することができず、大変でしたね。実際に介護を始めてからはどうでしたか?
長女さん:
幸いふたりともリモートワークができたので、母のお家に泊まり込み、仕事をしながら交代で介護をしていました。もっと自分たちだけでやらなければいけないとものと思っていましたが、夫や母の妹たちも手伝ってくれたし、看護師さんも毎日来てくれたので、意外と介護の負担は少なかったです。
次女さん:
でも、介護の生活に慣れるまでの最初の数日は寝不足でしんどかったです。夜間は少しでも音がすると気になっちゃって、逆に音がしない時も大丈夫かなって不安になっちゃって。
長女さん:
母は尿道カテーテルが入っていたし、結局お家で介護した11日間の間に便は出なかったので、おむつ交換は頻回ではありませんでした。食事は取れず点滴だし、お着替えは看護師さんが来てくれている時に一緒にやったので、介護の負担は少なかったのだと思います。ただ、喀痰吸引だけは、夫や母の妹たちも怖いと言ってできなかったので、私たちふたりで試行錯誤してやっていました。
次女さん:
看護師さんがそばにいて教えてくれる時はすんなり吸引できるのですが、姉とふたりだけになるとうまくいかないことが多くて。チューブが入らない、入らないって慌てているうちに、パルスオキシメーター(指に挟んで血中酸素飽和度を測る医療機器)の数値がどんどん下がっていくからどうしようかと焦りました。お家へ戻って数日して痰が減り、吸引することにも慣れてきてからはなんとかなりましたね。
長女さん:
毎日代わる代わる先生や看護師さん、最後の2日はヘルパーさんも来てくれていたので、1日はあっという間でした。
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2023年某月