体験談 2023.10.30
体験談vol.2 津川佐久子さん(仮名)の長男さん<後編>
・患者さんの病名:直腸がん
・患者さんの年齢:73歳(享年)
・闘病期間:発症から逝去まで約9ヶ月
・訪問診療を受けた期間:26日間
・家族構成:ご主人と長男さんと3人暮らし
・インタビューに答えてくださる方:長男さん(40代、会社員)
・インタビューの時期:逝去から約4ヶ月後
目次
後悔していることはありますか?こうしてあげられていたらと思うことはありますか?
二つあります。一つは【訪問看護や訪問診療を始める時期】、もう一つは【はやくに病気を見つけられなかったこと】です。
訪問看護や訪問診療を始める時期について
母は「つらい治療はしたくない」とのことで、がんに対する治療は一切しませんでした。それだと、通院しても病気の進行を確認するのみで、回復することはありません。亡くなる3ヶ月前には浮腫で歩きにくくなり、体力も落ちて、徒歩圏内の病院に行くのにもタクシーが必要な状況でした。亡くなる2ヶ月前からは入浴もできていませんでした。生活するのも大変な状況で、通院する意味があまり無いのであれば、もう少し早く訪問看護や訪問診療を始めても良かったと思っています。
ただ、これには私自身の心理的な抵抗があったのも事実です。訪問看護や訪問診療を始めるということは、母の病状が悪化していると認めることを意味します。それを認めたくない葛藤がありました。あと、病院に行く事が唯一の外出の機会で、入院中からお世話になっていた看護師さんと触れ合うことは母にとっていい刺激になっていたのもあり、環境を大きく変えてしまうことにも躊躇しました。最終的には、緩和ケア病棟の入院相談外来で訪問診療を勧められ、その時に覚悟を決めました。
私は通院と訪問診療は二者択一だと思っていましたし、病院からもそう説明を受けていたように記憶していますが、もし病院からもっと早い時期に通院と訪問診療を併用することを勧められていたら、訪問診療を開始することに対する心理的な葛藤はもっと少なかったように思います。
はやくに病気を見つけられなかったことについて
自治体の検診等を受診していれば早期の段階で病気を見つけることができ、母はいまでも元気だったのかもしれません。ただ、母は健康診断等に一切興味が無く、私も受診することを積極的には勧めていませんでした。これは本当に悔やみます。亡くなった後、母の部屋を整理した際に未使用の受診票を見つけたときには大きなため息が出ました。
医療・介護従事者の対応はどうでしたか?
連絡手段としてMCS (Medical Care Station)を活用されていて、母に関わる医療・介護従事者と私がメンバーのグループページを作成されていたので、関係者全員との情報共有がしやすかったです。私が「先日はこうだったが現在はこのような状況にある」と伝えるとすぐに返信がありました。
また、最期の2週間は医師も看護師もヘルパーさんもほぼ毎日訪問していただきました。午前に診察し、午後に薬局から状況に合ったお薬や器材を届けていただいたこともありました。迅速に対応してもらい、助かりました。
人生の最終段階にはいろいろな症状や問題が出てきますが、医療・介護従事者は目の前のことに対処する技術だけでなく、それ以上のものを持っている事が大切なのだと感じます。お風呂に入ってほっこりしたり、ほんの一口でもアイスやスイカの汁など好きなものを口にできたり、思い出の写真を見て懐かしんだり、昔話を楽しんだり、そういう温かみのある時間を母に提供してくれて、最期の時間を母がわずかでも心地よく過ごせるように配慮してくれて、よかったと思います。
亡くなる数日前、ぎりぎりの状態でしたが、風呂好きな母のために訪問入浴をしてもらえたのもありがたかったです。母は亡くなった後は浮腫で皮膚も脆弱になっているために湯灌ができず、その訪問入浴が母にとっての最期の入浴となりました。
どのような制度、サービス、人材・資源があれば、在宅療養がもっと豊かなものになるでしょうか?
介護をする側がどの程度介護に関われるかは重要な点だと思います。私の場合、勤務先が介護のためにリモートワークにしたり、有給休暇をとったりすることに寛容だったので、母の最期の40日間は介護に専念することができました。介護と仕事の両立は今後ますます重要になると思います。
お亡くなりになった直後といま(4ヶ月後)の気持ちの変化があれば教えてください。
もう少し長く生きていてほしかったと思う反面「これでよかったのではないか?」と思う時もあります。病気にならなかったとしても加齢による衰えは避けられません。この場合、介護は年単位に及び、状況によっては介護施設等に頼ることもありますが、母は元々精神的に弱いところがあったので、そういった施設に長期間お世話になることは難しかったと思います。
母の人生は平均寿命よりはやや短かったのですが、一方で、辛い時期は短期間であり且つ望んでいた自宅で最期を迎えられたので「これでよかったのではないか?」と思うのです。
「後悔」と「これでよかった」との思いは、心の中をぐるぐると回り続けています。
死別のかなしみに対して、どう対処されていますか?
母が亡くなった直後は医師や葬儀社などに連絡を取るなど、やることがたくさんあったのでそれを処理することで忙殺されていました。数時間後、葬儀社が亡くなった母を自宅から引き取りその車が去った後にようやく「ああ、もう母はいないんだな」と心が沈むのを感じました。それから1週間後には母の使っていた介護ベッドを業者が撤去し、母のいた空間ががらんと空きました。思い出をそのまま全部遺しておきたい気持ちもあるけれど、それではだめだと思い、母が好きだったぬいぐるみに埃が被らないようにビニールをかけたり、少しずつ母の部屋を整理したりしました。
仕事に関しては、2ヶ月間は無気力で何も手につかず、出社してメールの確認をしたらそれから1日ただ座っているだけでした。会社の人もわかっているからそんな状態の自分に何も言いませんでした。しかしある時から、簡単なことからでもやらなければいけないと思い、少しずつできる仕事から始め、4ヶ月経った今では会社にいる間は気持ちを切り替えて、母のことを考えずに仕事に打ち込めるようになりました。やるべきことをやりはじめたことで、悲しみに浸る時間も少なくなってきたと感じます。
しかし、いまでも家に帰ってくると母のことを考えます。家以外の場所でも、例えば、大学病院の建物が視界に入ると、「あそこに通院していた時は、母は自分で歩いて行けたよな」と思い出すなど、いろんな場所でいろんな母を鮮明に思い出します。
グリーフケアの本を何冊か読み、私の感情は自然な反応であることを理解することができました。私にしっくりきた本は「愛する人を失ったときあなたに起こること(著者:松家かおり)」と「大切な人を亡くしたあなたに知っておいてほしい5つのこと(著者:井出敏朗)」でした。ただ、理解することと悲しみが癒えることは全く別ですね。まだ、心を落ち着けるには時間が必要だと思います。
佐久子さんはどんなお母さんでしたか?
愛情があったんだなと思います。例えば、帰宅後に着ていたワイシャツをクリーニング屋に持っていく時、この歳になっても「明るいところを歩いてね」と母に言われていました。当時は、はいはい、と聞き流していましたが、いまになってみると母の一言一言に深い愛情を感じます。
また、母は気丈なひとでした。がんの治療をしないことも、家で最期まで過ごすことも、医療用麻薬の注射剤を開始することも、母は自分で決めました。大事なことは自分で決める、そんな母を尊敬しています。
いま、佐久子さんのことを考えるとどんな姿が浮かびますか?
元気な期間の方が圧倒的に長かったので、母のイメージはいまでも元気な姿のままです。しかし、がんの告知から死までの期間の事は鮮明に覚えていて、ふとしたきっかけで昨日のことのように思い出します。
これから在宅介護・看取りを考えているご家族の方にアドバイスをお願いします。
在宅介護・看取り一択ではなく別の準備もしておくことは必要であると思います。私は基本的には在宅介護・看取りとは考えていたものの、やり切れる自信はありませんでした。ですので、母の体が動くうちに緩和ケア病棟の入棟面談は済ませておきました。在宅介護・看取り以外の選択肢があったことで精神的な余裕を持つことができたと思います。(それでも、在宅介護・看取りとするか緩和ケア病棟とするかはかなり迷った時期があります。)
また、私の場合、勤務先に理解があったので在宅介護に全力で取り組むことができました。
いざという時にどこまで介護に関われるかは重要なことです。介護をする人は現役で仕事をしている場合も多いでしょうから、どこまで仕事の調整をつけられるか、早めに職場には相談しておいた方がよいかと思います。
最後に、人生の最終段階においては決断のタイミングが非常に大事です。患者の容態は刻々と変化し、訪問診療の開始や医療用麻薬の使用など、家族に判断を求められることがたくさん出てきて、「それをするともう戻れないのではないか」と、少し立ち止まって考えたくなると思います。しかし、タイミングを逃すと、患者を苦しめ、後々自分が後悔することになるかもしれません。わからないことは主治医や相談員、看護師に聞いて、一歩踏み出すための情報を受け取って、決断してください。
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2023年某月