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体験談 2023.10.30

体験談vol.3 帆足道子さんの長女さん

体験談vol.3 帆足道子さんの長女さん

・患者さんの病名:膵臓がん
・患者さんの年齢:84歳(享年)
・闘病期間:発症から逝去まで約1年
・訪問診療を受けた期間:7日間
・家族構成:ご主人、長女さん家族(夫は単身赴任、孫2人)と5人暮らし。次女さんも都内に在住
・インタビューに答えてくださる方:長女さん(50代、自営業)
・インタビューの時期:逝去から約5ヶ月後

帆足道子さん(享年84歳)はご主人とともに60年以上、歌の指導を生業にされていました。80代になっても精力的に活動され、いつもは優しい道子さんでしたが、指導の時はとても厳しい先生だったそうです。おしゃべりで笑顔の絶えない道子さんの周りにはいつもたくさんのひとがいました。

83歳の春に下血し、大学病院で内視鏡検査を受けましたがはっきり診断がつかず、検査を受ける度になんらかの異常を指摘され、検査のために頻繁に病院を受診する日々が続きました。同じ年の6月頃から発熱して胆管炎と診断され、胆管炎になった原因を調べたところ膵臓がんが見つかりました。9月中旬に膵臓がんの手術を受け、手術は成功したものの、リンパ節への転移があったので、抗がん剤を勧められました。手術直後は自分で歩くことができ、術後のお祝いに伊豆旅行に行きました。その後内服の抗がん剤を開始しましたが、倦怠感や両上肢の紫斑などのひどい副作用のため、やむをえず1週間で中止となりました。

手術から半年の間に徐々に体力が衰え、貧血や栄養失調で何度も入退院を繰り返しました。下血から約1年後、貧血や敗血症(血液の中に菌が入り、臓器障害を起こす病気)で入院していた道子さんは、呼吸困難や腹水による腹部膨満感があり、とても苦しい状態で意識も朦朧としていましたが、退院を強く希望されました。ご自宅に戻られて7日後、ご家族の見守る中逝去されました。

道子さんの逝去から約5ヶ月後のある日、道子さんの担当医であった香西と相談員の阿原が、道子さんのお宅を訪ねました。そして、長女さんに在宅での介護と看取りに関して、本音でお答えいただきました。

道子さんのことを教えてください。

母はすっごく喋るひとで、おもしろい話でいつも場を沸かせていました。父も若い頃はおしゃべりだったから二人でいるとうるさいくらいで、私がずっと聞き役でした。

母はオペラの指導者で、自分も歌手として歌う傍ら、同じくオペラ歌手の父とともにたくさんの生徒さんに教えてきました。生徒さんの発表会を毎年やっていて、60周年を区切りに幕締めしようねと話していたのですが、母は59回目が最後でした。59回目の時は退院直後にもかかわらず、ベッドの上から私にあれこれと指示を出してきて、その指示が的確で、やっぱり母じゃないとこんなにテキパキとみんなをまとめ、監督することなんかできないなと思ったものです。来年は母を偲ぶ会として60周年の発表会をやろうと思っており、今から準備に追われています。

帆足道子さんの写真

どうして在宅介護を決意されたのですか?

以前から最期はお家でと漠然とは考えていましたが、病院の主治医からはっきりと予後や余命について説明を受けたことがなく、亡くなる1ヶ月くらい前までずっと「まだその時ではない。母は良くなる」と私は思い込んでいました。主治医から「手の施しようがない状態です。退院してお家がいいですよね?」と言われた時でさえ、それでもまだ母が死ぬという実感はありませんでした。状態が悪くなっても一時的なものだろうと思っていて、散歩に連れて行ったら気分が良くなって元気になるかななどと思っていました。

母自身も膵臓がんが再発したと言われた後も、その後状態が悪くなっても、本当に最後の最後まで治ると思っている様子だったので、最期の時の過ごし方について母の希望を聞くタイミングがありませんでした。だから、決意したというよりは結果としてそうなったのですが、在宅で看取れたことに関しては本当に良かったと思っています。

介護をしている期間はどれくらいの期間でしたか?何が大変でしたか?

母はひどい巻き爪と外反母趾で足が悪かったので、2、3年前から階段を降りるときなどには少し介助が必要な状態でした。亡くなる約1年前に突然下血が始まり、それから検査、検査の繰り返しでずっと通院に付き添っていました。その後4ヶ月くらい経って、膵臓がんと診断されました。手術を受ける頃にはまだ自分で歩いてトイレに行くことができていて、術後退院した後も伊豆旅行に行けたけれど、その後化学療法の副作用や、がんの進行による食欲低下、貧血などでどんどん具合が悪くなって、何度か入院しました。

亡くなる2、3ヶ月前からはトイレの介助が大変でした。その時は訪問診療や訪問看護の存在も知らなかったから、なんとか自分たち家族でトイレに連れて行っていました。母は絶対におむつに排泄するのが嫌なひとで、入院中に安静のためにトイレに行くことを禁止されていた間は、排泄を我慢しちゃうほどでした。だから、母をトイレに連れて行ってあげようと、私たちも歩けなくなった母をキャスター付きの椅子に乗せて、数人がかりでトイレに運んだのですが、間に合わずに失禁してしまうこともありました。そこらじゅうに便がついてしまって、しかもそれが日に何度もあるものだから、本当に疲れました。母も私たちに手伝われるのは嫌だっただろうなと、今でも申し訳なく思ってしまいます。

最後の退院から亡くなるまでの7日間は、訪問看護師さんが毎日来てくれました。その時にはもうトイレに行くことはできず、更衣や清拭も看護師さんがやってくれたから、介護の負担はそれまでの期間よりも少なかったです。それでも、刻々と状態が変わっていく母の様子を見ると、とても眠っていられず、母が自宅で過ごした7日間はほとんど起きていました。

在宅介護・看取りをしてよかったと思うことを教えてください。

母は入院中ずっと早く退院したがっていました。コロナ禍で面会もできなかったので、エレベーターホールで久々に私の顔を見た時、母は満面の笑みを浮かべました。その母を見て、本当にお家に連れて帰ってあげられてよかったなと思いました。

最期の時に在宅で緩和ケアを受けたいひとはたくさんいると思います。母に限らず、みんな本当はお家に帰りたいんじゃないかな。でも、みんなそういうことができるって知らないですよね。うちは、長く通っていた内科の先生が時々往診してくれていたから、それが訪問診療というものだと思い込んでいました。
終末期医療や緩和ケアを専門とする医師が在宅の分野にもいて、24時間対応してくれて、緩和ケア病棟に入院するのと同じようなケアがお家でも受けられるなんて知らなかったです。そういう先生に出会えて本当によかったと思います。

あと、母の生前に伝えたいことが伝えられたことはよかったと思います。母はずっと自分が死ぬとは思っていませんでした。だから、お別れの言葉を切り出すきっかけがなかなか掴めなくて、伝えたいことがたくさんあるのに、いつ言おう、いつ言おうってもどかしく思っていました。母が亡くなる前に、返事をもらえるうちに、でも母を傷つけないように、思いの丈を伝えたかったのです。最後の数日間お家で過ごせたおかげで、母との時間を持つことができ、タイミングを見計らって、伝えることができました。「十分介護ができなくてごめんね」って言った時に「そんなことないよ」と母に言ってもらえて、「楽しかったね、今までありがとう。愛しているよ」とも伝えることができました。最後は家族みんなでベッドを囲んで讃美歌を歌ったり、母の手を握ったりして過ごしました。苦しそうだったから「早く逝っていいよ、頑張らなくていいよ」って私と妹が声をかけて、父だけは「道子、逝くな!逝くな!」ってずっと叫んでいました。母が亡くなることはつらかったけれど、病院ではこんなふうには過ごせなかっただろうなと思います。

インタビュー画像

後悔や、もっとこうしてあげられていたらと思うことはありますか?

祖母も膵臓がんで、祖母の時はすごく痛がっていて見ていられないほどでしたが、母は我慢強いひとで、痛いとは一切言いませんでした。だから、余計に母に我慢させてしまったのではないか、私はなにもしなかった、という罪悪感があります。最期の7日間、母は眠っていることも多かったので、私はリビングの椅子に座って母の様子を伺っているだけのことも多かったのですが、今になって、なんでもっと抱きしめてあげたり、そばにいてあげたりしなかったのだろうと悔やみます。

母が亡くなって5ヶ月経ちましたが、どんどん後悔が増えていっているような気がします。いろんなひとに話をして、みんな「十分やったよ」と言ってくれますが、遺影を見るたびに「ごめんね、ママ」と罪悪感でいっぱいです。毎日母のことを思い出し、あの時こうすれば、という思いが湧き上がります。

私が在宅での緩和ケアというものをもっと早くに知っていれば、母をこんなに苦しめなかったのに、とも思います。亡くなる1ヶ月くらい前に病院の医療相談員に聞いて初めて在宅緩和ケアを知りましたが、もっとみんなが知っていて、それが当たり前の世の中になってほしいです。

どのような制度、サービス、人材・資源があれば、在宅療養がもっと豊かなものになるでしょうか?

訪問診療や訪問看護が始まってからの生活には十分満足しています。何よりもまず、24時間相談できる相手がいるというのがとても心強かったです。
必要なのは情報だと思います。在宅緩和ケアというものがあることを知っているかどうかで人生が大きく変わるので、私はそれをみんなに広めたいと思います。

これから在宅介護・看取りを考えているご家族の方にアドバイスをお願いします。

在宅介護中はいろいろと不安なことがいっぱい起きます。微熱が出た時にどうしようとか、これは食べさせていいかなとか、おむつ交換がうまくいかないとか、異常事態が頻発します。そんななかで、一緒に悩める家族がいることと、訪問サービスを開始してからは医師や看護師、薬剤師にいつでも相談できるということが私にとって救いでした。
在宅で看取って、最期まで母をひとりにさせなかったことには誇りを持っています。これからのことを決めるにあたって、皆さんが後悔しないように、ひとりで悩まずに、たくさんのひとに相談してみてください。

帆足道子さんの写真02

執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2023年某月

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