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コラム 2026.08.21

安楽死・尊厳死をどう考える?―「死にたい」と言われたときに医師ができること

自宅で今後の医療について医療者と話す患者さんとご家族

このコラムの紹介

安楽死と尊厳死は同じではありません。海外には安楽死や医師による死の介助を一定の条件で認める国がありますが、制度も考え方もさまざまです。この記事では、安楽死・医師幇助死・尊厳死の違い、終末期の鎮静で使う薬との違い、日本でできること、リビング・ウイルやDNARの位置づけ、海外の制度を整理します。そのうえで、病気のために「死にたい」と話す患者さんに医師はどう向き合えるのか、在宅医としての私の考えをお伝えします。

はじめに

病気が進んだ患者さんから、「もう楽に死にたい」「これ以上、家族に迷惑をかけたくない」と言われることがあります。日本尊厳死協会に入り、リビング・ウイルを持っていると教えてくださる方もいます。
その言葉を聞くと、周囲は戸惑います。「そんなことを言わないで」と打ち消したくなることもあれば、本人の強い意思として受け止めなければならないと考えることもあります。しかし、「死にたい」という言葉は、いつも一つの意味だけを表しているわけではありません。「楽に死にたい」という言葉を聞いたとき、まず確かめたいのは“死にたいという結論”ではなく、“今、何から解放されたいのか”です。

安楽死・尊厳死・医師幇助死は同じではありません

安楽死・尊厳死・医師幇助死は同じではありませんの表古い法学上の分類では、生命維持治療の差し控え・中止を「消極的安楽死」と呼ぶことがあります。しかし、積極的安楽死と混同しやすいため、本稿では「生命維持治療の差し控え・中止」または「尊厳死」と表現します。
終末期の鎮静は、ほかの方法では十分に和らげられない苦痛を軽減するために鎮静薬を使う医療です。死を起こすことを目的にせず、患者さんは病気の自然な経過によって最期を迎えます。鎮静の方法や在宅での実際は、前編で詳しくお伝えしています。

終末期の鎮静と安楽死では、薬の使い方が異なります

終末期の鎮静と安楽死は、薬の名前だけで区別するのではありません。何を目的に、どのような量と方法で使い、何を結果として目指すのかが異なります。

終末期の鎮静と安楽死の表鎮静を始めた後に患者さんが亡くなったからといって、鎮静が安楽死をもたらしたことにはなりません。終末期には病気そのものが進行しており、鎮静の有無にかかわらず最期が近いことがあります。適切に行われた鎮静によって、生命予後が一貫して短くなるという結果は示されていません。
一方で、鎮静薬にも呼吸や循環への影響などのリスクがあります。効き方が強すぎれば有害事象となるため、苦痛が和らぐために必要な量を用い、状態を確認しながら調整します。もし命を終わらせる意図で薬を使うのであれば、それは苦痛緩和のための鎮静とは呼べません。

日本でできること、できないこと

日本で安楽死はできるのでしょうか

現在の日本には、医師が患者さんの希望を受けて致死性の薬剤を投与し、命を終わらせる積極的安楽死を合法的に実施できる制度はありません。本人が望んでいても、命を直接終わらせる行為は、刑法上の殺人罪や同意殺人罪などが問題になります。
厚生労働省の「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」も、生命を短縮させる意図をもつ積極的安楽死を対象としていません。一方で、本人の意思を基本に、医学的な妥当性を多職種の医療・ケアチームで検討し、負担の大きい医療を開始しない、またはすでに行っている医療を見直すことはできます。「延命治療をしない」ことは、「何もしない」ことではありません。痛みや息苦しさを和らげる治療、口腔ケア、体位調整、清潔の保持、心の支援、ご家族へのケアは続きます。

尊厳死とリビング・ウイル

日本尊厳死協会への入会やリビング・ウイルは、本人の希望を伝える大切な手がかりです。ただし、日本ではリビング・ウイルに一律の法的拘束力があるわけではなく、会員証や文書があれば、あらゆる場面で記載どおりの医療が自動的に行われるわけでもありません。病状や医療の目的、本人の気持ちが変わることもあるためです。
日本尊厳死協会のリビング・ウイルは、積極的安楽死を求める文書ではありません。同協会も安楽死を支持していません。大切なのは、文書を作って終わりにせず、「なぜその医療を望まないのか」「どのような暮らしを大切にしたいのか」「意思を伝えられなくなったときに誰に考えを伝えてほしいのか」を、家族や医療者と繰り返し話すことです。内容はいつでも変えてかまいません。

DNARは「治療をしない」という意味ではありません

DNARは、心停止時に心肺蘇生を試みないという意思決定に沿って医師が出す指示です。DNARがあることだけで、心停止前の酸素投与、抗菌薬、点滴、栄養、鎮痛・鎮静などを一律に行わないという意味にはなりません。
心停止前にどの治療を行い、どの治療を控えるのかは、DNARとは分けて話し合います。尊厳死、DNAR、生命維持治療の差し控え・中止の詳しい違いは、関連記事「緩和ケア・終末期医療・延命治療―DNARとACPから考える望む医療」で解説しています。

海外では、どのような制度があるのでしょうか

安楽死や医師による死の介助を何らかの形で認める国でも、制度は同じではありません。以下は2026年7月31日時点の代表例です。

海外での制度の表海外の制度から分かるのは、『本人が望めば、その場で選べる』という単純な仕組みではないことです。国や制度によって要件は異なりますが、意思決定能力や希望の自発性、苦痛の内容、代替手段、周囲からの圧力の有無などが検討され、複数の医療者や審査機関が関わる制度もあります。また、安楽死・医師幇助死と、緩和ケアや苦痛緩和のための鎮静は、別の医療行為として区別されています。

もし日本で安楽死が合法になる時が来たなら

安楽死を法制化するかどうかは、賛成か反対かだけで答えられる問題ではありません。少なくとも、次の問いに社会全体で向き合う必要があります。

緩和ケアと生活支援は十分か:痛み、呼吸困難、せん妄、抑うつ、孤独、介護負担、経済的な不安に対する支援を受けたうえでの選択なのか。
本人を追い込む圧力はないか:「家族に迷惑をかけたくない」「医療費をかけたくない」という思いが、死の選択を促していないか。
命の価値の平等をどう守るか:病気や障害があることによって、その人の命が軽く扱われる制度にならないか。
意思の自発性と一貫性を誰が確認するか:意思決定能力、繰り返し示される希望、代替手段への理解を、誰がどのように評価するのか。
関わる人の良心と、その後の支援をどう守るか:実施しない医療者の倫理観を保障し、残されたご家族や医療者の心理的負担をどう支えるのか。

選択肢を増やすことは、自己決定を尊重するように見えます。しかし、緩和ケア、介護、住まい、経済面の支援が十分に用意されないまま死だけが選択肢として加われば、それは本当に自由な選択とはいえないかもしれません。安楽死を議論する前提には、まず生きることを支える選択肢を保障することが必要です。

私自身は、安楽死と鎮静をどう考えているか

私自身は、仮に将来、日本で安楽死が合法になったとしても、自分の手で誰かの命を終わらせる役割を担うことはできないと思っています。患者さんの願いを否定したいからではありません。人の命の長さを直接決める責任を私が負うことは、私の倫理観や道徳観から難しいと感じます。正直に言えば、怖いのです。
一方で、痛みや呼吸困難、せん妄などの身体的な苦痛が強く、ほかの方法を尽くしても和らげることができないのであれば、「眠ることで苦痛から解放する」ために鎮静薬を使うことは、現在も行っています。そこで目指しているのは死ではなく、今この瞬間の苦痛を和らげることです。
深い鎮静によって会話できなくなることは、軽い問題ではありません。それでも、苦痛にゆがんでいた表情が和らぎ、ご家族が手を握りながら見守れるようになることがあります。私自身も、患者さんの力が抜け、穏やかに休めているような寝顔を見ると、苦痛が和らいだことに安堵します。
私は命を終わらせる役割を担うことはできません。しかし、「死にたい」と思うほどの苦痛を、そのままにすることもしません。患者さんが生きている今の苦痛に対して、できることを尽くしたいと考えています。

「死にたい」と言われたとき、医師にできること

病気を抱えた患者さんの「死にたい」という言葉には、「この痛みを止めてほしい」「息苦しさが怖い」「これ以上家族に迷惑をかけたくない」「自分で何もできなくなったのがつらい」「先が見えない」「自分の人生を自分で決めたい」という思いが重なっていることがあります。
その言葉を「そんなことを言わないで」と打ち消すだけでは、患者さんは本当のつらさを話せなくなります。反対に、その場ですぐ、揺るがない意思だと決めつけてもいけません。私はまず、「何が一番つらいですか」「何が変われば、もう少し生きていてもよいと思えますか」と尋ねたいと思います。

身体の苦痛を見直す:痛み、呼吸困難、吐き気、不眠、せん妄など、治療やケアで変えられる症状がないかを一つずつ確認します。
心と認知の状態を確認する:抑うつ、せん妄、薬の影響、強い不安によって判断が揺れていないかを評価し、必要な治療や支援につなげます。
暮らしの苦しさを一緒にほどく:孤独、家族関係、介護負担、経済的な不安には、看護師、医療ソーシャルワーカー、ケアマネジャー、心理職などとともに支援を考えます。
一度の会話で結論を出さない:患者さんの意思は、心身の状態や時間の経過で変わることがあります。気持ちが変わってよいことを伝え、繰り返し話します。

なお、差し迫った危険があるときは、まず安全を守ります。「今すぐ実行したい」「具体的な方法や準備がある」と話している場合は、終末期の治療方針の相談とは分けて緊急に評価します。患者さんを一人にせず、主治医、訪問看護、地域の救急医療などにつなぎます。
医師にできるのは、患者さんの人生の価値を代わりに決めることではありません。また、「どんな苦痛も完全になくせます」と約束することもできません。それでも、苦痛を置き去りにせず、その時にできる方法を一緒に探し続けることはできます。

おわりに―最期の選択を、今を生きるための対話に

尊厳を守ることは、単に命を長くすることでも、短くすることでもありません。その方が何を大切にして生きてきたのかを知り、望まない医療を避け、必要な苦痛緩和を続けながら、最期までその人として過ごせるよう支えることだと私は考えます。
「楽に死にたい」という言葉を、すぐに最終的な選択として閉じるのではなく、「何がつらいのか」「何を守りたいのか」を話す入り口にしてほしいと思います。答えは一度で決めなくてかまいません。気持ちが揺れることも、考えが変わることも自然です。命を終わらせる医療を提供することはできなくても、苦痛を軽くし、選べる暮らしを増やし、最期まで一人にしないことはできます。それが今の日本で、私が緩和ケアに携わる医師として担いたい役割です。

参考資料

厚生労働省「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」:
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_02783.html
日本緩和医療学会「がん患者の治療抵抗性の苦痛と鎮静に関する基本的な考え方の手引き(2023年版)」:
https://www.jspm.ne.jp/publication/guidelines/individual.html?entry_id=1391
公益財団法人 日本尊厳死協会「リビング・ウイルとは」:https://songenshi-kyokai.or.jp/living-will
公益財団法人 日本尊厳死協会「よくあるご質問」:https://songenshi-kyokai.or.jp/qa
Government of the Netherlands, Is euthanasia legal in the Netherlands?:
https://www.government.nl/themes/family-health-and-care/euthanasia/is-euthanasia-allowed
Government of Canada, Medical assistance in dying: Legislation in Canada:
https://www.canada.ca/en/health-canada/services/health-services-benefits/medical-assistance-dying/legislation-canada.html
Swiss Federal Office of Justice, The various forms of euthanasia and their position in law:
https://www.bj.admin.ch/en/the-various-forms-of-euthanasia

執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳

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