MENU

体験談 2026.02.24

体験談vol.34 古賀二郎さんと久美惠さんご夫妻<前編>

体験談vol.34 古賀二郎さんと久美惠さんご夫妻<前編>

・二郎さん(84歳)の病名:脳梗塞(右片麻痺)、前立腺がん、ほか多数
・久美惠さん(81歳)の病名:高血圧症、右変形性股関節症、外反母趾、ほか多数
・訪問診療を受けている期間:3ヶ月
・家族構成:二郎さんと久美惠さんのふたり暮らし。長男さん、長女さん家族が大分在住
・インタビューに答えてくださる方:二郎さんと久美惠さん
・インタビューの時期:訪問診療開始から3ヶ月後

対談風景

古賀二郎さんと久美惠さんは生まれも育ちも大分で、子育てや両親の介護を終えた後も大分で仲睦まじく暮らしていました。
二郎さんは12年前に前立腺がんを患い、現在もホルモン療法を続けています。また、11年前に脳梗塞を発症し、脳梗塞の後遺症として右片麻痺と構音障害があります。また、下肢の皮膚感染症を繰り返しており、急に足が痛くなったり熱が出たりすることがあります。屋内は伝い歩き、屋外は杖歩行で、長距離になると車椅子が必要になります。
久美惠さんは大病はありませんが、高血圧症や便秘症、不眠症などの慢性疾患があり、3年前から右股関節痛と外反母趾のためにだんだん長距離の歩行が困難になってきています。
おふたりとも体に不自由がないわけではありませんが、支え合って生きてきました。

二郎さんには憧れの東京で暮らしてみたいという夢があり、83歳の年の10月に一念発起して東京に移住しました。当院は上京後、大分の病院から引き継いでおふたりの診療を開始しました。これまで複数の診療科に通院されていましたが、東京でのかかりつけを探すことも、通院することも大変で、有事も含めて24時間対応することが訪問診療の目的でした。引越し直後は疲れて転倒したり、便秘になったり、風邪をひいたりとトラブルが勃発しましたが、それを乗り越えて、いまはおふたりとも元気に過ごされています。新年を迎えた古賀夫妻に、これまでとこれからの人生についてインタビューさせていただきました。

二郎さんと久美惠さんの出会い

香西:おふたりの出会いについて教えてください。
久美惠さん:出会いはお見合いやな。
二郎さん:民生委員さんがお世話をして、私らを会わせてくれたんです。
香西:民生委員さんって、そんな仲人さんみたいなこともしてくれるんですね。
久美惠さん:出会ったのは私が24歳で、お父さんが27歳の時でした。うちの親が「もうあと何ヶ月で25歳になるんで!」とかやーやー言ってました。
香西:二郎さんに対する第一印象はどうでしたか?
久美惠さん:お断りしたな。
香西:えぇ、そうなんですね!1回会ってからお断りしたんですか?
久美惠さん:民生委員さんの顔を立てるために会ったんです。でも当時私は、自分の仕事がノリに乗ってたんよ。私は就職して2年くらいだったので仕事が楽しくてたまらなくて、辞めたくなかったんです。だから、とても結婚とかできんわって話したんです。そしたら、お父さんは私がその気になるまで待ってくれた。
香西:二郎さんは、初めて会った時からもうこの人だと思ったんですか?
二郎さん:まあ、そうやな。
香西:どれぐらい待ってもらったんですか?
久美惠さん:1年かな。その間は仕事を一生懸命しとったんで、お付き合いもやり取りも一切しとらんかった。再会は偶然でした。大阪で万博がある年に、私は職員旅行で大阪に行くために列車に乗っていたんです。彼は三重町から大分の実家に帰るために列車に乗ってて、車内で出会いました。
香西:お見合いで1回会っただけなのに、列車の中でお互いにわかったんですね。
久美惠さん:実は初めて会ったのはお見合いじゃなくて、お父さんはお見合いより前に私を見かけたことがあったみたいです。
香西:そうだったんですね。列車の中で再会した時は、どんなふうに声をかけたんですか?
久美惠さん:私は同僚と一緒で、お父さんはひとりやったね。だから挨拶しただけやな。その後私たちはどうやって会ったんだっけ?
二郎さん:民生委員さんのとこ行って、「もう一度会いたい」って言った。それだけのことです。最初から結婚するつもりで会いたいと言いました。
香西:おお。お見合いリベンジの連絡が来た時は、久美惠さんはどう思ったんですか?
久美惠さん:私も結婚するつもりになっていました。
香西:1年の間にどういう気持ちの変化があったんですか?
久美惠さん:2回目に会った時には、「あ、決まりやな」っていうような感じがした。あなたは?
二郎さん:まぁいいじゃないですか。
香西:素敵な出会いですね。久美惠さんは25歳でご結婚されたんですか?
久美惠さん:24歳の最後の月でした。12月1日が誕生日で、11月29日に結婚式挙げたん。ギリギリセーフ!
香西:2回目のお見合いからはトントン拍子に進んだんですね。

高齢の夫婦

結婚後の生活と久美惠さんの両親の介護

香西:結婚後はずっと大分に住んでいたんですか?
久美惠さん:そうです。お父さんは出張や研修で東京やヨーロッパなどあちこち行っててね。仕事も大変やったみたいで、帰りも遅かったね。私は結婚して近くの学校に転勤させてもらって、26年間勤めました。
香西:久美惠さんは子育てしながらもずっとお仕事を続けたんですね。ワンオペでの子育ては大変だったんじゃないですか?
久美惠さん:私の両親と一緒に住んでいて、ずいぶん手伝ってくれたから、育てられたんかな。私が48歳の時に父親の介護が必要になって、仕事を辞めました。その頃はこんなに介護保険制度とかなくて、人を雇うこともできず、家族が介護するしかなかったんです。初めは母と一緒に父の介護をしていましたが、途中から母も介護が必要になり、両親合わせて15年間介護しました。
香西:やっと子育てが終わったぐらいの時期から介護に突入したんですね。
久美惠さん:夜中が特に大変やった。子どもは大学生とかやったな。
香西:ご両親は何のご病気だったんですか?
久美惠さん:父は84歳くらいで脳梗塞になって、だんだん体力落ちていきました。母は老衰だと思うのだけど。ふたりとも94歳くらいまでがんばりました。父も母も家で看取りました。母は亡くなる間際には体重が35kgしかなくて、抱えてお風呂に入れていました。最期の20日間はどんどん食べられんくなり、水も飲まんくなりました。私の膝の上で亡くなりました。その母は父の後妻で、私にとっては継母だったんです。父が亡くなる前に「母をよく看てな」って言ってたけど、言われなくてもって思った。私にとっては特別な、大事な母だった。それでよく看ました。
香西:久美惠さんが何歳ぐらいの時から、そのお母さんに育ててもらったんですか?
久美惠さん:4歳かな。私の両親を介護している間に主人の両親も亡くなったんですが、主人の実家は列車で2時間くらいの距離で、兄弟がよく看てくれていたので、私たちは時々お見舞いにいっていました。だから、48歳から63歳までの十数年は、もう介護、介護、介護でした。それが終わってから、お父さんとふたりの生活ができるようになったん。
香西:運命的な出会いから約40年を経てようやくおふたりの時間が訪れたんですね。

笑顔で夫を見る高齢女性

老後に訪れたおふたりの時間

笑顔で話を聞く女性医師
香西:いまはふたりきりで過ごすようになって20年弱くらいですね。おふたりの時間はどうですか?
久美惠さん:それがね、ふたりの生活になってからが、これまた楽しいんよ。お父さんも定年で時間ができたから、ボランティアで近所の荒地の草取りをしたり、桜の木を25本も植えたりした。それからご近所さんと交流会を月1回うちの家で開いた。皆さん大勢来てくれて、歌あり、講演ありで、講師にもいろんなひとに来てもらったん。それをしながら、合間でふたりでドライブ旅行!
香西:どの辺に行かれたんですか?
久美惠さん:日本中!九州から北海道にも行きました。北海道だけは車で新潟に行ってそこからフェリーで小樽へ渡ってね。一番感動したのは、青森県の最北端の竜飛岬から北海道が見えた時やね。それで味をしめて、楽しくてたまらなくて、四国も九州も何回も回ったし、東京にも何回も車で来たね。東京来る時に富士山が見えたら嬉しくて嬉しくて、毎年東京には必ず来てた。
香西:東京は何が魅力なんですか?
久美惠さん:賑やかなのやな。感動するし驚くことばっかり!
二郎さん:なんでも一流やな。
香西:大分と違いますか?
久美惠さん:全然違う。テレビでニュースとか見てたら大抵東京のことばっかり。大分で見ていた時は遠くの東京やったのに、いまは身近の東京が出るやろ。でも、「東京が映ってる!」っていまだに感激する。それだけ憧れてたの。
香西:二郎さんだけじゃなくて、久美惠さんもずっと東京に来たいと思ってたんですか?
久美惠さん:私は最初はそんなこと全然ないし、旅行も好きでもなかったです。旅行はいつも車中泊だったけど、ホテルに泊まるほうがいいと言いよったん。でも、ハマってしまった。昔は高速道路から降りなかったら1,000円で行けるっていう時代があったんよ。それで私たち、東京まで2,000円ぐらいで来れよって。車中泊しながら、温泉のあるサービスエリアでお風呂入ったりして。それがすごく楽しくて。
香西:車であちこち行くのは何歳ぐらいまでされてたんですか?
久美恵さん:お父さんが72歳で脳梗塞になるまでやね。
香西:病気になってからはお家で療養されていたんですか?
久美惠さん:全然大人しくしてない。それからは私が運転してあちこち連れて行った。プロ野球が好きやけん、大分から広島の球場まで行ったり、私の運転で長崎にも行った。でも、私も歳なのであまり続かんかった。いろいろなところに行ったので、もう満足。あとは、東京に住みたいっていうのが夢だったんです。
香西:でも、東京に来るのを決めたのは引っ越す直前だったんですよね?
二郎さん:そうだね、9月に決めて10月に来たかな。
香西:なんで来ようって思ったんですか?
二郎さん:なんだったかな。
久美惠さん:一つ目はお父さんの前立腺がんの数値が安定したこと。二つ目は住居のことやな。私たちは自宅の一軒家を売って、大分の駅前の賃貸マンションに住んでたんよ。11階で見晴らしも良かったけど、家賃が高くて、ちょうど更新の時期で、この家賃やったら東京でも行けるやんっていうことになって。そしたら、娘が東京の住むところのカタログを持ってきてくれて、その中には老人ホームもあったけど、もうちょっと私たち自由がいいなっていうことで、ここにしました。ここは高齢者向け住宅でバリアフリーでセキュリティもしっかりしてて、なのに大分のマンションより安いし、新築なので気に入りました。まあ狭いのはしょうがないけどね。
香西:娘さんも息子さんも東京に住むことに反対しなかったんですか?
久美惠さん:息子は第一に、「あ〜、うらやましいな」って言った。娘は「いいな。行ってあげるけん、行きよ行きよ」っていう感じ。約束通り、娘は多い時は月に2回来てくれよるね。息子と娘の家族にはほんとに感謝しとる。
香西:娘さんも東京に来る理由ができてよかったんですかね。
久美惠さん:娘は29歳の息子が東京におるけんね。私が体調悪かった時にその孫が炊事から何から全部してくれました。いまも週に何回も来てくれてるんです。
香西:おふたりともフットワークが軽くて、娘さんも息子さんもお孫さんもそれを受け継いでるんですね。

話をする高齢の夫婦

編集:児玉紘一
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2026年某月

トップ/スペシャルコンテンツ/体験談/体験談vol.34 古賀二郎さんと久美惠さんご夫妻<前編>