体験談 2025.12.03
体験談vol.27 大塚梢さん本人と長女さん<後編>

・患者さんの病名:脳梗塞(後遺症:右片麻痺)、大動脈弁狭窄症、認知症、肝細胞がん
・患者さんの年齢:89歳
・訪問診療を受けている期間:1年5ヶ月
・家族構成:長女さんと2人暮らし
・インタビューに答えてくださる方:梢さん本人、長女さん(60代、会社員)
・インタビューの時期:訪問診療開始から1年5ヶ月後
大塚家の円満の秘訣
香西:大塚家のみなさんは、長女さんのご主人はフィジー、お子さん達(梢さんのお孫さん達)はイタリアや山口と、それぞれ離れたところにお住まいですが、とても強いつながりを感じます。どうしたらそんなふうに、離れていても心は離れずにいられるのでしょうか?
梢さん:うちはもうガッチリ組んでます。
長女さん:スクラム状態だよね。
香西:いいですね。その状態はどうやったら作れるんですか?
梢さん:理解することじゃない?お互いに。
長女さん:そうですね、お互いを大切に思うことですね。言い分を聞いて、納得いくまで話し合うことはすごく大事だと思います。夫がフィジーに行きたいと言った時も、娘が山口に行きたいと言った時も、最初は「え~」と思いました。特に娘は何度も怪我をしていたので心配でしたが、どうして行きたいのか理由を聞いて、ちゃんと話をしました。夫はラグビーを引退後は調理師として東京の飲食店で働いていたのですが、コロナ禍で仕事がなくなり、島根の隠岐島に住み込みで働きに行っていました。約3年経ってそこから東京に戻ってきてくれるものだと思っていたら、ステップジャンプでフィジーに行ってしまいました。その時は喧嘩もしましたが、夫の思いを聞いて、受け入れました。
香西:自分の要求や、世の中の当たり前に振り回されず、それぞれの価値観を大事にしている大塚家がすごく魅力的だなと感じます。
長女さん:母が退院する時にも、同じように母と話し合いを重ねました。病院からどこに退院するか決めるように言われ、母は高齢者住宅に戻りたいと希望しました。しかし、実際に病院の方と一緒に行ってみると、母ひとりで住むのは危ないことがわかりました。そこで私の家での同居の話が出ましたが、私は介護するのが初めてで、何をしたらいいのかも自分がどのくらいできるかもわからないし、母自身も介護されることが初めてで、お互い初めて同士の状態でした。「どこまでできるかわからないけど、ダメだったらごめん。その時は施設に行ってくれる?」と母に私の正直な気持ちを伝えたら、母はそれだったらいいと受け入れてくれました。私も母も納得した上で、うちに来ることに決めました。それ以降も必要な時にはちゃんと話をするようにしていて、それが家族円満の秘訣だと思います。
香西:脳梗塞で入院している状況だったら、本人の意見を聞かずに、ご家族が病院の人と話をして退院先を決めるケースが多いと思います。大塚家の場合にはそうではなくて、梢さんの意見も聞いた上で、みんなでこの家に帰ってくることに決めたんですね。
長女さん:はい、夫や子どもたちともグループ電話で家族会議をして、親戚にも相談をしました。施設がいいんじゃないかという意見もあったし、いろいろな話が出ました。子ども達は私の体を心配してくれて、フルタイムでの仕事と介護の両立は本当に大丈夫なのかと案じてくれました。たくさん話し合って、「やってみてダメだったら、施設に入ってもらうのはおばあちゃん(梢さん)にも了承得てるから」と言って、話がまとまりました。
香西:とても参考になるお話ですね。
梢さん:(娘は)怖いけど優しい。私のこと思ってくれてるから。

通院と訪問診療の違い
香西:訪問診療が始まる前と後で、長女さんの負担は変わりましたか?
長女さん:全然違います。病院に行くにはタクシーが必要でしたが、母は退院当初はトイレがとても近く、タクシーに乗っている間にも尿意や便意を催しました。介護タクシーではなかったので、そういった話が出ると運転手さんも漏らされたら困るから露骨に険悪な雰囲気が漂い、早々に降りていました。病院での診療時間は5分くらいなのに、母は複数の病気を抱えているので、消化器内科、神経内科、循環器内科、整形外科など複数の診療科を受診しなければならず、1日がかりで母も私もぐったりしてしまいました。診察時間が短くて必要最低限の質問しかできず、家に帰ってから困ることもありました。香西先生に訪問診療に来ていただけるようになって、家だからこっちも落ち着いて質問ができるし、聞き忘れたことがあっても電話できるし、私の体のことや娘のワクチンのことなど家族全ての相談に応えてくださって、本当にありがたいなと思っています。精神的な負担と物理的な負担の両方が軽くなりました。診察の曜日も私の休みの日に合わせてもらっているので、有給を使わずに済むようになりました。あの時訪問診療に踏み切らなかったら、いま頃はもう介護が嫌になっていたと思います。
香西:そういっていただけて何よりです。訪問診療はただ家で診療を行うというものではなくて、まるっと体の状態もお家の状態も把握して、病気のことだけでなく、患者さんの人生を整えていくものです。重篤な状態で高度に専門性を必要とする場合は通院が必要ですが、たくさんの病気を抱えて、通院が困難な方の場合は、訪問診療医が全部を診た方が、お薬の調整もしやすいですし、患者さんやご家族も相談する窓口が1つになって楽だと思います。
長女さん:香西先生に来ていただいた当初、「私は、母をうちでどれくらいまで介護していけると思いますか?」と質問しました。先生から「どんな状態になっても、介護・医療サービスを使うことで家で過ごしていくことはできます。寝たきりでもお家にいる方はたくさんいらっしゃいますよ。まずは1年頑張ってみて、2年目に入る時にその後どうするかを考えてみましょう。長女さんが無理になりそうな時は、早めにおっしゃってください」と言っていただきました。そういった直接身体に関わること以外の相談は、病院の診察室では、できる時間も、雰囲気もなかったので、家族としては心強いです。
香西:病気と今の状態と人生は、全て絡み合っているので、病気だけを診るのではなく、梢さんを支えていきたいです。私だけの力では支えきれないけれど、ケアマネジャーさんや訪問看護師さんもついていますから、一緒に頑張っていきましょう。
梢さん:よろしくお願いします。

大塚家とフィジー
香西:長女さんのご主人はフィジーの方ですが、フィジーの人生観や価値観は日本とは違いますか?
長女さん:日本とはかなり違いますね。フィジーの人たちは、悪く言えばあまり先のことは考えない、よく言えばどうなるか分からない先のことを不必要に心配しないです。それは気候風土がそうさせるんだと思いますが、「今日食べられれば、明日のご飯のことは明日考えればいい」という考えです。お魚がたくさん採れたら、日本人なら干物にしたり冷凍したりすると思います。フィジーの人は、採れたものは全部食べて、余ったら周りに配るというのが普通です。農作物でもなんでもみんなでシェアをする文化があります。自分が持っていれば与えるのが当たり前だから、逆に自分がお腹が空いた時は、お金がなくてもごちそうしてと言えば分けてもらえると思っています。それが日本人にとってはたかりのように捉えられてしまうこともあるんですけどね。フィジーはコミュニティのつながりがすごく強くて、楽しい時は一緒に楽しめるし、悲しい時にも悲しみを分かち合ってくれます。それがフィジーの一番いいところだと思います。うちの母が脳梗塞になった時も、母に会ったことがない友達のお母さんでさえ、「イッサー(まぁ、どうしましょう)」と言って、泣いてくれました。いいことも悪いこともシェアできる文化が、この時代にもフィジーにはあって、それは日本でも学んでいってほしいところです。
香西:支え合うのが当たり前という社会なんですね。
長女さん:今はフィジーにも文明がずいぶん入ってはきましたが、そこだけは廃れないのが、いいところですね。
香西:長女さんはご主人のそういう気質に惚れたんですか?
長女さん:うーん。交通事故にあったみたなもんですかね(笑)本当はジャマイカやハイチなどのカリブの島にも行きたかったんですが、危険度が高いので、まずは太平洋で慣らそうと思っていました。でも、夫に出会っちゃったので私の旅は南太平洋が終着駅になりました。夫とお付き合いすることになったけれど、遠距離恋愛で、しかも携帯電話なんてない時代だから固定電話にかけて取り継いでもらうという生活を1年くらい続けました。母は当初は夫とのお付き合いを快く思っていなかったのですが、その1年の間に母をフィジーに連れていき、彼に会ってもらいました。実際に彼や彼の家族の人柄を知れば、私がどうしてこの人に惹かれていて、結婚したいと思っているか、わかってもらえるかなと思ったんです。2週間の滞在後に、夫が母に結婚していいか聞いたら、母はOKしてくれました。
香西:言葉の壁をするっと超えて、2週間で結婚を認めちゃうくらいの良さがあったんですね。
梢さん:あのね、(フィジーの人は)悪く言えば呑気。よく言えば・・・言わない(笑)
香西:梢さんは元来賑やかなのが好きで、いろんな方を家に招いてご飯を作ってあげるような方だから、フィジーの方々とフィーリングがすごく合いそうですね。長女さんとご主人は出会うべくして出会って、大塚家の中で文化が混ざり合って、いまの関係性ができているんですね。
長女さん:でも、母もそうでしたが、父や親戚や友人にも初めは反対されました。当時バブルが弾ける前で、外国人が偽装結婚をして日本に住むというようなニュースも流れていたので「絶対それ騙されてるよ。日本に働きに来たいんだよ。」とみんなに言われていました。フィジーに一緒に行った後は、母が庇ってくれて、みんなを説得してくれました。
梢さん:(あんなにいい人なのに)賛成してくれる人がいないんだもん。
香西:いいお母さんですね。
梢さん:ふふふ。

長女さんのこれから
香西:長女さんはいずれはフィジーで暮らそうと思っているんですか?
梢さん:私がいなくなったらよ、ねぇ?
長女さん:そうですね。これまでに何度か移住を考えたことがあります。最初のタイミングは子どもが小学校に入学する時でした。でも、その当時も今もフィジーの医療は日本と比べるとかなり遅れていて、日本では助かる病気や怪我も、フィジーでは命取りになる可能性があります。それが自分ならまだしも、子どもに起きて、後悔することになるなら行くのはやめた方がいいと言われて踏みとどまりました。例えば、木から落っこちて骨が折れても、日本なら歩けるようになるけれど、フィジーだとそのまま義足になったり寝たきりになったりする可能性があります。そのアドバイスをくれたのは、当時南太平洋の偉い人を診ていた日本人の医師でした。それで思い留まって、次の移住するタイミングを探していたら、なんかだかんだで現在まで来てしまいました。もし夫がこのままフィジーに住みたいなら、私は夫と一緒にいたいので、フィジーに行ってもいいし、夫が他の国がいいなら、そこについて行ってもいいです。フィジーに住みたいというより、夫と一緒にいたいんです。ただ、若い頃には平気だったフィジーの生活習慣が、この歳になると堪えて、あっという間に死んじゃうかなと思っています(笑)お風呂は水だから、前々回行った時は高熱を出したし、洗濯機もないから洗濯物も手洗いで、それだけでも結構な重労働です。母がいる、いないに関わらず、私がどのタイミングで移住するかはまだわかりません。でも、夫と余生を過ごすのが私の一番の希望です。いまの所、私は持病がなくて健康だし、日本にいても治療できない病気にかかるかもしれないし、いろいろ考えるより、余命が尽きたらヤシの木の下に埋められる人生もいいかなと思っています。
香西:すごい人生観ですね。何よりもご主人と一緒にいたいのが一番の願いとはっきり言い切れるのが、すごくかっこいいなと思います。条件で伴侶を決めてしまう人が多い中で、相手に合わせて生き方を変えられちゃうくらい、愛し、愛される人に巡り会えているのが羨ましいです。
長女さん:かっこいいですかね?もちろん、夫の嫌なところもいっぱいありますよ。酒飲んで帰って来なかった時とか。でも、彼やフィジーの人たちの根本に、愛情深さがあるのかもしれないですね。私の母のことも自分の実母のように面倒を見てくれて、主人が帰った後は母はしくしく泣いていて。
梢さん:ほんとに、ほんとにいい人なの〜(泣)
長女さん:いやいや、あの人私の旦那だから(笑)あなたの旦那じゃないでしょ(笑)泣かない!夫とは毎日テレビ電話をしているんですが、電話を切る時ですら母は今生の別れかっていうくらい泣いちゃったりするんです。

梢さんのこれから
香西:梢さんは、もし今後具合が悪くなったら、病院に行きたいですか?
梢さん:よくなるんだったら、一応行きたいね。でも、もうおしまいっていうなら、それはそれで構わない。
香西:病院に行っても治らない病気の時には、できるだけお家で過ごしたいんですね。
長女さん:孫も含めて家族みんな、母には1日でも長く生きてほしいのですが、母自身は元気な時からずっと「延命治療はしたくない」と希望しています。私たちのわがままだけで管に繋がれてしまうよりは、痛い思いは最小限にして、母の望みを叶えてあげたいかなと思います。それは夫の影響もあるかもしれません。死に対して私たち日本人は「死んでしまう」という感覚ですが、フィジーの人たちは「神様の元に帰る」という認識なんです。同じ死でもだいぶ捉え方が違うかなと思います。母が亡くなることをそこまで恐れていないのは、夫の影響かもしれませんね。
香西:梢さんも、長女さんも、死をそこまで怖い出来事だとは考えていないということですね。
長女さん:結婚してすぐの頃、叔母が交通事故に遭って救急車で運ばれて、親戚みんなが病院に呼ばれたんです。その日が峠かもしれないと言われて、私が焦って向かおうとしたら、夫が「ちょっと待って。いまあなたが慌ててもどうもならないから、まずはお祈りをしよう。叔母さんが生き返るか、向こうの世界に行ってしまっても、叔母さんにとってベストな方向に行くように、まずお祈り」と言われ、私は「え、お祈り?」と思いました。いち早く駆けつけたいのに、とその時は思いましたが、親戚の急死などの時にも夫に同じように諭されているうちに、夫の言うことも一理あるなと思うようになりました。死生観が違うんだと思います。亡くなってしまうことは悲しいことだけではないと、夫から教えてもらいまた。死に怯えるよりは、安らかに行ってらっしゃいという方がいいと思いますし、そのぎりぎりまでは苦しむことなく、家族で楽しく過ごしたいなと思います。
香西:とても素晴らしい考えだなと思います。梢さんたちの生き方とマッチしている感じもしますね。
梢さん:私は好きです、そういう考え。
長女さん:もし実際に何か起きたら、ジタバタするんでしょうけどね。
香西:そのときは一緒にやっていきましょう。何か起きても、梢さんにとって一番いい選択ができるよう、サポートしていきます!

逞しく挫けず介護をしていく秘訣
香西:長女さんのように、いろんなことがあっても逞しく、挫けずに介護をしていく秘訣を教えてください。
長女さん:なんでも言うことですかね。もともとが溜め込むタイプじゃないんで、母にも言いたいことを言っています。これが義理のお母さんだとちょっと遠慮しちゃうかもしれませんが、実母なんで、いいことも悪いことも、耳障りの悪い話も、ちゃんと話します。同居を始めた頃も「介護が無理だったら施設ね」と話していましたし、今でもリハビリが嫌だと言い出したら、「転んで寝たきりになって施設に行くのは嫌でしょ」とストレートに言います。話すことは、大事だと思います。本人の気持ちは聞いたことないですけど、あんまり気持ちは隠してないよね?
梢さん:なんでも話してるよ。
香西:建前とかなく正直な気持ちを伝え合えるところが、良い関係性を作って、家で元気に過ごしていく秘訣ですね。
長女さん:自分もいずれ老いていくんでしょうから。母の介護を嫌だなと思っていたら、人生が楽しくなくなってしまいます。認知症とは言っても、今日みたいにちゃんと自分の意見を言えるんですから。
香西:認知症を理由に諦めたり、甘やかしたりせず、家族であり続けるという、言うは易く行うは難しなことを揚々とされていて、すごいなぁと思います。何か他にこれは言っておきたいことはありますか?
長女さん:いつも本当にありがとうございます。本当に本当に支えていただいてありがとうございます、が1番です。
香西:そう言っていただいて嬉しいです。これからも一緒にやっていきましょうね。
梢さん:よろしくお願いします。

編集:児玉紘一
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2025年某月