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体験談 2025.12.03

体験談vol.27 大塚梢さん本人と長女さん<前編>

体験談vol.26 大塚梢さん本人と長女さん<前編>

・患者さんの病名:脳梗塞(後遺症:右片麻痺)、大動脈弁狭窄症、認知症、肝細胞がん
・患者さんの年齢:89歳
・訪問診療を受けている期間:1年5ヶ月
・家族構成:長女さんと2人暮らし
・インタビューに答えてくださる方:梢さん本人、長女さん(60代、会社員)
・インタビューの時期:訪問診療開始から1年5ヶ月後

笑顔の高齢の女性

大塚梢さんは食べること、料理を作ることが大好きで、長年あちこちの飲食店の厨房で働いてきました。和食、中華、フランス料理とさまざまなジャンルのお店で働いてきたので多国籍料理が得意で、シェフたちに賄いを作ると、とても喜ばれたそうです。ずっと仕事を続けていきたいと思っていましたが、73歳の時に職場で滑って転倒して腰椎圧迫骨折を受傷してしまい、やむなく退職しました。その少し前から安全のために高齢者住宅で過ごしていましたが、身の回りのことはご自身でできており、退職後もお友達と楽しく過ごしていました。

高血圧症や骨粗鬆症などはあったものの、大病はなかった梢さんですが、86歳頃から立て続けに病気に見舞われました。まず、86歳になる年の5月に肝細胞がんと診断され、経皮的ラジオ波焼灼術(体表面から腫瘍に電極を刺してラジオ波で焼く、切らない手術)を受けました。その年の9月から息切れを自覚し、重度の大動脈弁狭窄症と診断され、翌年の1月に経カテーテル大動脈弁留置術を受けました。どちらも術後の経過は良好でしたが、同年9月に脳梗塞を発症し、後遺症として右片麻痺や構音障害が残り、7ヶ月間入院してリハビリを受け、88歳になる年の4月に退院しました。梢さんは元いた高齢者住宅に戻ることを希望されていましたが、リハビリ後も右片麻痺が残存して支えなしには歩けなくなってしまったことや、入院中に認知症が進行してしまったこともあり、退院後は長女さんのお家で暮らすことになりました。

退院直後から梢さんは不調でした。1ヶ月間ずっと1日7、8回の軟便が続き、5月にはコロナに罹って一気に食事が取れなくなり、体力も落ちました。体調不良に伴ってせん妄を発症し、夜間に1人で歩き出そうとしたり、声を上げてしまったりすることもあり、同居の長女さんは疲労困憊していました。病院のソーシャルワーカーさんからの紹介で、5月末より当院からの訪問診療を開始しました。

初診時、1日7回の泥状便が1ヶ月続いていましたが、不思議と数日後には治りました。また、せん妄に対しては少量の抗精神薬を開始したところ、夜間にぐっすり眠れるようになりました。睡眠が取れたおかげか、食欲も回復し、起き上がりや立ち上がりは見守りでできるようになり、シルバーカーを押して歩けるようになりました。
それから現在までの1年5ヶ月の間に、血圧変動や下肢浮腫、皮膚病の悪化、一時的な食欲不振やせん妄はありましたが、どれも薬を少し調整すると良くなりました。また、89歳になる年の数ヶ月前からは変形性膝関節症の痛みが強くなり、歩ける距離が短くなってきていましたが、関節注射と訪問リハビリで回復してきています。
現在は、デイサービスに週5日通い、週1回の訪問リハビリ、月2回の訪問診療を継続しつつ、時々ショートステイを利用して、長女さん宅での生活を続けています。

秋風を爽やかに感じる10月のある日、89歳のお誕生日を迎えた梢さんと、梢さんを支えてくれている長女さんに、梢さんの人生とお家での生活についてインタビューさせていただきました。

食べることとパーティ

香西:今日はじっくり時間を取って、梢さんのこれまでの人生のことや、梢さんと長女さんがこれからどんなふうに過ごしていきたいかをお聞きしたいと思います。梢さんのことをたくさん教えてください。まず、好きな食べ物はなんですか?

梢さん:好きな食べ物は、お寿司!お寿司が大好き!マグロ、中トロ!あとはイカ。

香西:最近はいつ食べました?

長女さん:1ヶ月前くらいですね。母が喜ぶし、外食するといい気晴らしになるのか、よく眠ってくれて、しばらくいい調子が続くので、たまに連れて行っています。何が食べたいって聞くと、大抵お寿司って言いますね。先日の母の誕生日はお寿司屋さんじゃない和食のお店に行ったのですが、母はお寿司を食べていました。

香西:いいですね。梢さんは、食べるのも作るのも好きだと聞いています。ずっとお料理のお仕事をされていたんですよね?

梢さん:はい、レストランの厨房を担当していました。賄いを作るのが好きだった!何歳ぐらいまでだろうなぁ?忘れた!

香西:結婚する前も飲食関連のお仕事をされていたんですか?

梢さん:うちにいました。仕事は持ってなかったの、その頃。

長女さん:え?違うでしょ。おじいちゃんとおばあちゃんの喫茶店を手伝ってたんでしょ。

香西:ご実家も飲食関連なんですね。

長女さん:祖夫と祖母が板橋区の喫茶店第一号らしく、母は若い頃そこを手伝っていたみたいです。

香西:小さい頃からお料理と関わりのある人生だったんですね。

梢さん:そうでもなかったんだけど。なぜか料理の本をいつも膝に置いておく生活でした。

香西:昔から料理を食べるのも、作るのも好きだったんですね。

梢さん:うん。美味しいよ、私のカレーは。

香西:1番の得意料理はカレーなんですか?具は何が入っているんですか?

梢さん:いろんな具が入ってます。

香西:梢さんならではの隠し味はあるんですか?

梢さん:別にないですね。でも、私が作ったカレーが美味しいって言って、勤め先のお偉いさんがお菓子をくれたことが、私の自慢の思い出です。

香西:愛情がたっぷり入っているお料理だから美味しいんですね。そのお料理の腕が娘さんにも引き継がれているんでしょうか?

長女さん:美味しいものを食べたら味の再現をしようとするところとか、美味しいものを作って食べることへの意欲は母譲りかもしれません。あと、私が結婚する前後からトンガやサモアの人たちがうちに遊びに来ていたので、彼らの国の料理を勉強して作ったり、これが日本料理だよって紹介しながら食べてもらったりして、人に料理を振る舞う機会が多くありました。一番多い時だとこの部屋に20人くらい集まって、スタンディングバーみたいな感じでパーティをしました。飲んで食べて踊って歌って、すごく楽しかったです。

梢さん:人の出入りが多いのは、うちが楽しいからだと思います。

香西:聞いただけで、すごく楽しそうですね。長女さんのご主人は元ラグビー選手で、長女さんのお子さん達もラグビー選手だとお聞きしていますが、その時集まっていたのもラグビーの仲間ですか?

長女さん:大体の繋がりはそうですけど、そのお友達とかその人から聞いた人とか。あとは留学生が1番多かったですね。日本という異国の地でホームシックになっていそうな時に、「じゃあうちでフィジーの料理食べない?トンガの料理食べない?」と誘ったら人が人を呼んで大勢になっていました。

香西:いつ頃からそんなふうに過ごされていたんですか?

長女さん:母がすぐうちにおいでっていうから、私が20代の頃からよく留学生が来ていました。母自身は日本語しか喋れないですが、母には言葉の壁は一切なかったですね。人の集まることの多い賑やかな家だと思います。私の夫はフィジー人で、結婚した後も色々な人が来ましたね。いまでも誰それの誕生日だってなるとうちに来てパーティが始まります。

梢さん:居心地が良かったんだと思います。嫌だったらみんな来ないもんね。

香西:梢さんは昔から大勢でワイワイするのがお好きなんですか?

梢さん:好き!

多国籍の人の食事の写真

一人暮らしをしていた頃の生活

香西:脳梗塞になる前は、梢さんはどんなふうに生活されていたのですか?

長女さん:私が20歳で、母が50代の頃に、母は離婚しました。私は一人娘なので、しばらく、1週間は母の家、1週間は父の家と、家出少女みたいに荷物を持って行き来していました。父は元々糖尿病があって、今から20年以上前に糖尿病が原因で亡くなりました。母はその頃は元気で一人暮らしをしていましたが、だんだん私の家の近くに引っ越して、近づいてきました。70代の時に区の運営する高齢者住宅の抽選に当たり、そこに入居しました。それから倒れるまでは、そこに住んでいました。

香西:73歳くらいの頃に職場で滑って転倒して、腰椎圧迫骨折を受傷して、お仕事を辞められたんですよね。しばらくは高齢者住宅からお仕事に行かれていたということですか。高齢者住宅に住みながら、お仕事に行かれている方って多いんですか?

長女さん:収入の上限があって、その枠を越えなければそこには住めます。家賃は変動制で、年金以上の収入があると家賃が上がる仕組みになっています。当時は私の子どもが小学生で、育児で手がいっぱいだったので、母に何かあると困ると思ってダメ元で高齢者住宅に申し込んだら入れました。普通のマンションのような作りですが、玄関にセンサーがあって、24時間そこを通らないと通報が入り、セキュリティの人が様子を見に来てくれます。母が脳梗塞を発症した時も、セキュリティの人が様子を見に来てくれました。その時は母は歩けていて、大丈夫だからと言って帰ってもらったらしいのですが、その後に管理人さんが母に様子伺いで電話をくれて、その際、母の呂律が回っていなかったから私に知らせてくれました。なので、それがなければもっと発見が遅れていたと思います。

香西:高齢者住宅に住んでいたおかげで、脳梗塞の発見が早かったんですね。センサー以外に何か普通のマンションと違うところはあるんですか?

長女さん:家の中には手すりが至る所に設置してあり、捕まって移動できます。入り口の段差もほとんどありません。コンロはIH式で、トイレとお風呂には緊急コールのボタンがあり、押すと管理人さんが24時間いつでも駆けつけてくれます。

香西:バリアフリーな環境で、ずっと見張られているわけではないけど、呼べばすぐに駆けつけてくれるサービスがあるところなんですね。ご高齢の方や体の不自由な方にはとても安心できるところなのだなと感じました。梢さんがそこに帰りたがった気持ちがわかる気がします。梢さんは何年くらいそこに住んでいたのですか?

長女さん:70代から脳梗塞で倒れるまでの15年くらいです。多少認知機能が低下していたとはいえ、仕事に行けるくらいだった母が抽選に当たったのはラッキーだったかもしれません。もしかしたら、当時と違って今はもっと倍率が高いかもしれないですね。

香西:梢さんは土壇場の運みたいなものをお持ちなんですね。脳梗塞の時に発見してもらったのもそうですが、それ以外にもたくさん大変な病気を経験されていますが、全部乗り越えてきていますもんね。

女性医師と看護師

今までの病気

香西:今までで1番大変だった病気はなんですか?

梢さん:別にないですね。

香西:普通の人であれば、1つだけでも生死に関わるような大病ですが、別にないと言い切れるのはすごいですね。病気に左右されずに生きてきたということでしょうか。

梢さん:乗り越えた!

長女さん:大変だったというか、ちゃんと生還できるかなと思ったのは心臓の手術です。TAVIという、カテーテルを使って心臓の弁を植え込む手術ですが、侵襲の少ない手術とは言われても、この歳だし、心臓だし、手術中に何かあったらと、手術の待ち時間がすごく長く感じました。それ以外だと、脳梗塞でICUに入っていた時は、話せていたし、私たち家族のことも認識できていたので、命は大丈夫だろうと思いましたが、どれくらい麻痺が残るかは不安でした。

香西:脳梗塞の時も幸い、麻痺もそこまで残らず、呂律障害や嚥下障害も回復しましたね。本当にすごい生命力だと思います。

梢さん:うん、それは自慢できるね。

長女さん:私が若い頃に母はC型肝炎と診断されました。医師からはインターフェロン治療を勧められたのですが、母は嫌がって。南太平洋には「カヴァ」というコショウ科の植物が自生していて、それを冠婚葬祭で飲む慣習があります。私が夫と結婚した頃から、母もそれを頻繁に飲むようになりました。先生も誰も信じてはくれないのですが、その頃から母の肝臓の数値が良くなって、本人はそれでC型肝炎が治ったと思い込んでいます。実際、肝臓にはいい生薬みたいで、飲みすぎると肝臓を悪くするらしいです。

香西:西洋医学では説明のつかないこともまだまだたくさんありますね。カヴァの効果は私もわからないですが、梢さんや長女さんのポジティブさは病気に打ち勝ってきた、大きな要因なのだろうなと感じました。

笑顔の女性医師と女性

南太平洋の国々との交流

香西:梢さんはどうして南太平洋との方々と繋がりがあるんですか?

長女さん:私が社会人になった頃、母が離婚した後あたりからですね。昔は今みたいに南太平洋のラグビーの選手が日本に来ることは多くはなかったのですが、当時住んでいたところの近くの大学に交換留学でトンガの選手がよく来ていたんです。それで試合を観に行って、ラグビー選手や島好きな人たちと連絡先を交換しているうちに、留学生が家を訪ねてくるようになりました。試合の後に母と私でご飯を振舞っていました。

梢さん:よくご飯を食べさせてあげたね。

長女さん:あとはJICAの学生さんも勉強のために日本に来ていて、そういう子たちも「ホームシックだったら、うちにおいで」と呼んでいました。

香西:娘さんはその中でフィジー人のご主人と出会ったんですか?

長女さん:全然関係ないですね。私は島が好きで、働くだけ働いて有給を取って、国内国外問わずあちこちの島を旅していました。フィジーを経由してツバルに行こうとしていた時に、当時日本に住んでいたフィジー人のご夫婦に、フィジーに行くならホテル代もかかるだろうからうちを使ってと言っていただいて、お部屋を借りた時に夫に出会っちゃいました。そのご夫婦が夫の叔母夫婦で、夫はラグビーで怪我をして療養中だったんです。しかも、ツバル行きの飛行機が故障して飛ばず、フィジーで2ヶ月滞在することになったので、その間に夫との仲が深まってしまいました。

香西:2ヶ月も!梢さんも心配されたんじゃないですか?

長女さん:そうですね。結局ツバルの地は踏めませんでしたが、ツバルは全く連絡が取れない国だったので、母は行く前から相当心配していました。母が大好きなコーヒー断ちをして私の帰りを待っていたと後で知り、母の愛を感じました。

高齢の女性

梢さんと長女さんの関係性

香西:梢さんにとって1番大事な人は誰ですか?

梢さん:(無言でグッドサインを作り、長女さんを指す)

長女さん:なにこれ親指!(笑)そう言わないと捨てられちゃうもんね(笑)

香西:照れなんですかね(笑)梢さんは長女さんのどういうところが好きですか?

梢さん:頑張るところ。なんでも頑張るのは、褒める・・・。

長女さん:ちょっと、泣かないで!(笑)認知症になってから、涙脆いんですよね。

香西:長女さんは本当に頑張り屋ですよね。脳梗塞の後長女さんのお家に退院してからの1ヶ月間、夜間の頻便やコロナやせん妄でかなり大変だった時も、長女さんは梢さんを入院させようとはせず、1人で四六時中戦ってくれました。あの時が1番大変でしたね。長女さんは本当によくしてくれていますね。

梢さん:うん、頑張ってます。

香西:どんなふうに育てたら、こんないい娘さんになるんですか?

梢さん:ふふふ、どうやったらできるのかな?(笑)

香西:愛情をかけて育てたんですね。

梢さん:それはありますね。私じゃなくて、娘の方が。

香西:梢さんは長女さんからの愛情をすごく感じているということですね。お互いに大事にし合っているということですね。今まで長女さんに怒ったり、喧嘩したりしたことはあるんですか?

梢さん:あまりないね。

長女さん:嘘ばっかり!いっぱいあるじゃない~。私が若い頃なんか、仕事から帰ってくる時に缶ビールを買ってきたら、外で飲んでるわけでもないのに非国民ぐらいに、「若い娘が会社帰りにビール買ってくるなんて恥ずかしい」と罵られましたよ。私は文句を言われずにお酒を飲みたかったし、母と盃を交わしたかったので、母はアルコールが飲めなかったんですが、「お腹いっぱいだから少し飲んでくれない?」と言って、ちょっとずつ洗脳して、コップ1杯のビールくらいは飲めるようになりました。

香西:そんな過保護そうなお母さんを、海外に行く時はどうやって説得したんですか?

長女さん:私が言っても聞かないのは、育てている本人が1番わかっているので、色々反対されながらも行ってしまいました。成田まで見送られるのも、行ってらっしゃいと言われるのも後ろ髪を引かれる感じでなんだか嫌でしたが、自分も母親になると母の気持ちがよくわかりました。

香西:長女さんのお子さんもあちこち行かれていて、そばにいない時間の方が多いですもんね。

梢さん:そうですね。今アメリカに行ってるね。

長女さん:今はイタリアよ。

嬉しそうに笑う高齢の女性と女性医師

編集:児玉紘一
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2025年某月

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