体験談 2025.04.18
体験談vol.13 佐藤みさこさん(仮名)本人

<写真左> むすび在宅クリニック 院長:香西友佳(こうざいゆか)
<写真中央左> 佐藤みさこさん(仮名)本人
<写真中央右> 株式会社 青星 代表取締役
しりうす訪問看護ステーション 理学療法士
柴田 和延 (しばた かずのぶ) 公式サイト:https://aoboshi.net/
<写真右> むすび在宅クリニック看護師
・患者さんの病名:卵巣がん
・患者さんの年齢:75歳
・闘病期間:発症から現在まで5年5ヵ月
・訪問診療を受けている期間:1年5ヶ月
・家族構成:長女さんと同居。次女さん、三女さんが近隣在住。お孫さん3人(次女さんの長女さん、長男さん、三女さんの長男さん)
・インタビューに答えてくださる方:佐藤みさこさん本人
・インタビューの時期:訪問診療開始から1年5ヶ月後
みさこさんは3人の娘さんを育てあげた、おっとりしていながらも芯のある女性です。近隣に住むお孫さんたちの世話をしたり、両親の介護をしたりと、慌ただしい日々の中でも、家族と過ごす時間を大事にされています。
69歳の夏にお母さまを亡くされた矢先、下腹部の膨隆と尿漏れを自覚しました。歳のせいかと思って様子をみていましたが、症状が徐々に悪化し、11月に大学病院を受診したところ、卵巣がんstageⅣと診断され、腹式両側付属器切除術、大網部分切除術という手術を受けました。開腹して子宮、両側の卵管と卵巣、そして大網という腸間膜の一部を摘出する手術です。取りきれない腹膜播種が残存していたため、手術のすぐ後から化学療法が始まりました。薬剤の効果をCTで判定して、効かなくなってきたら別の薬剤に変更しながら、3年半に渡り化学療法を続けました。6種類目の化学療法が効かなくなった時、主治医から別の化学療法を試すか、抗がん治療の終了の2つの選択肢を提示され、みさこさんは治療を終了することを選びました。その後も通院を続けていましたが、治療終了から5ヶ月ほど経って、腹水による腹部の膨隆や足のむくみのために通院の負担が大きくなり、73歳の年の11月から訪問診療を開始しました。
当初は訪問診療も受けつつ、頻度を減らして通院する予定でしたが、訪問診療の開始直後に自宅内でしゃがんだ状態から前のめりに転倒し、直後から右股関節痛のためにほとんど寝たきりの状態になりました。右大腿骨骨折が疑われましたが、みさこさんは病院には行きたくないと言い、自宅での療養を続けました。右股関節痛は受傷から1ヶ月程度で軽減し、リハビリにより少しずつ動けるようになり、1年後には手引き歩行や伝い歩きでトイレまでの片道5mの歩行ができるようになりました。
腹水に対しては、訪問診療開始の1ヶ月半後から腹腔ドレナージ(お腹に管を刺して腹水を体外に排出させること)とアルブミン製剤の投与を開始しました。当初は2週に1回 3L程度のドレナージで腹部膨満感を緩和できていましたが、少しずつ腹水の貯留スピードが早まり、半年経った頃から週1回3.5Lのドレナージに頻度と排液量を増やしました。また、医療用麻薬を用いることで、食後や腹水が増えてきた時の腹部膨満感を軽減させています。
現在、訪問診療の開始から1年5ヶ月経過し、みさこさんはご自宅での療養を継続しています。ご家族と看護師と一緒にお花見に行った翌週、みさこさんに人生と病気とこれからのことについてインタビューをさせていただきました。
目次
みさこさんの生い立ちについて教えてください。
父は国鉄の職員で、母は小学校の登下校の見守りをやっていて、そのあと給食の調理師になりました。私のきょうだいは兄と弟で、そんなに歳は離れていないけれど、男女の違いもあり、仲は良くも悪くない間柄でした。
印刷機器の製造販売を行う会社に就職し、24歳の時に2歳年上の夫と職場恋愛で結婚しました。夫は優しいひとでしたが、賭け事とお酒が好きでした。3人の娘に恵まれて、いま住んでいるこの家を建てて暮らしていましたが、私が52歳の時に夫のギャンブルが原因で離婚しました。私は結婚してから離婚するまで25年以上専業主婦で、離婚を機に再就職したのですが、その時は本当に大変でした。でも、働くこと自体は好きだったので、慣れてからは楽しかったです。15年間、焼肉店で配膳のアルバイトをしました。
離婚後も娘たちと元夫はずっと交流があったようです。私はしばらく会っていなかったのですが、孫の七五三などで元夫と顔を合わせるようになりました。それから元夫が胃がんを患った時などに、娘にお願いされて数年ここで一緒に住んだこともあります。最近では年末年始やクリスマスなど、みんなで集まる機会には元夫も来ます。娘に「お父さんも呼んでもいい?」って言われたら、断れないですね。そういうのも縁なのかなと思います。元夫はいまは身の回りのことは一通りできる状態で、次女の家の近くに住んでいます。私がこんなだから、娘たちの負担が大きくならないよう、元夫には元気でいて欲しいですね。
みさこさんのご両親の介護はどんなふうにされていたのですか?
父は私が65歳の時に胃がんで他界しました。4月に胃がんと診断されて、6月に入院しました。その際に余命半年と言われましたが、入院してから2ヵ月くらいで亡くなってしまいました。父は介護が必要になる前に入院したので、介護はしていません。診断されたあと、すでにいろいろな症状はでていたようなのですが、父は育てていた植木や盆栽を全部片付けて、身辺整理もきっちり行っていました。そういう姿を見て、自分も後は綺麗にして逝きたいと思いました。
父が亡くなったあたりから急に母の認知症が進み、ひとりで生活ができなくなったので、毎日母の家に通っていました。認知症によるものというより、もともと母はきつい性格で、少し気に入らないことがあるとすぐ怒ったり、もう来なくていいと言われたりして、毎日顔を合わせていると精神的に参ってしまいました。それで、兄と弟にも行ってもらうようにして、行く頻度を減らしたら少し楽になりました。3年くらい介護が続きました。そのあとは、母は心不全を発症して入院が増え、あちこちの病院を行き来して、最後はホスピスのようなところで亡くなりました。母が病院の白い天井を見てぼーっとして、だんだん小さくなっていく姿は可哀想でした。6月に母が亡くなって、まだ喪が明けないうちに自分の下腹部の膨隆や尿漏れなんかが出てきて、その年の11月に卵巣がんと診断されました。69歳は立て続けにいろんなことが起きた波乱の年でしたが、母の介護の時期と自分の闘病が重ならなかったのは、がんが待っていてくれたのかなと思っています。
私が母の介護をしている時には訪問診療や訪問看護の存在を全く知らず、介護について相談できる窓口がどこにあるかもわかりませんでした。私の情報源はテレビしかなくて、テレビではなかなかそういった情報は入手できないように思います。自分がこうなってみて、父や母のときにも病院で最期を過ごす以外の手段があったのではないか、私が受けているような介護・医療のサービスがあればもっと楽にしてあげられたんじゃないかと後悔しています。闘病中の方がみんな医療や介護のサービスを使って快適に過ごせたらいいなと思います。そういう世の中になってほしいです。
みさこさんは約2年前にご自身で抗がん治療を終了することを決心されています。どんな心境だったのでしょうか?
化学療法をやっているときは頻回の通院と副作用がつらかったです。副作用は吐き気と食欲不振と手先の痺れが出ました。化学療法を終了して約2年になりますが、いまでも手の痺れは残っています。同じ時期に同じ薬を使っていた患者さんの中には痺れでペンが持てないほどになっている方もいました。化学療法を受ける際、起こり得る副作用について医師や薬剤師から説明がありますが、言葉で説明されてもピンとこないし、どれくらいの強さで、いつまで続く副作用なのかはひとそれぞれだから、投薬してみないとわからないと言われます。新しい薬でまたひどい副作用が出るかもしれないと恐々としながら次の治療に挑むことに疲れてしまいました。つらい思いをして生きるくらいなら、家でゆっくり天寿を全うしたいと思いました。
また、2年前、卵巣がんとは関連なく両目の白内障が進んで、片目はほとんど見えない状態になっていました。白内障の手術を受けたかったのですが、眼科医から化学療法中は手術できないと言われました。それもあって、化学療法をやめたいなという気持ちが高まり、化学療法を終了してからすぐに手術を受けました。それも、片目ずつと言われたけれど、余命も限られているからと無理に頼み込んで、両目同時にやってもらいました。術後にははっきり見えるようになって、生活がすごく楽になり、気持ちも明るくなりました。もし、目の見えないまま化学療法を続けていたら、孫の顔もちゃんと見られなかったのかもしれません。
先日テレビで、まだ打つ手がある段階で治療を中断する決断をしたがんの患者さんのドキュメンタリーを観ました。やりたいことをやるために治療をやめたそうです。私と同じ選択をした方がいるのだと、同志のように感じられて勇気づけられました。私も、がんの治療を終了することや、家で過ごしていくことを自分で決めたから。やりたいのにできないのではなく、自分で選択していまがあるので、後悔がないですね。もちろん、私の選択を支えてくれた娘たちの存在はとても大きいです。
いまはどんなふうに生活していますか?
夜は一緒に住んでいる長女と過ごして、日中は次女、夕方には三女が来てくれます。次女はリモートワークの仕事で、三女も夕方なら来られる仕事だったので、急に介護が始まったときにも3人ともすぐに体制を整えてくれました。一緒に住んでいる長女は20時頃に仕事から帰って来るのですが、ミールキットなどを使ってパパッと夕食を作ってくれます。長女とは一緒に過ごす時間が長い分、甘えて我儘を言ってしまいます。例えば、4種類のメニューの中からどれが食べたいと聞かれた時に全部嫌だと言ったら、長女は笑いながら何が食べたいか聞いてそれを作ってくれました。お互いに気を遣っていない関係だと思います。この雰囲気は家族だからこそですね。
香西先生は週1回来て、薬の調整や腹腔ドレナージ、点滴などをやってくれます。看護師さんには毎日来てもらって皮膚炎の処置や足のマッサージ、歩行訓練などをしてもらい、週2回は理学療法士さんのリハビリを受けています。先生と看護師さんは連絡を取り合って、なにかあってもすぐ対応してくれます。それ以外には、訪問入浴を隔週で受けています。ケアマネジャーさんもちょくちょく家に様子を見に来てくれます。私のように動けない状態だったら、ヘルパーさんにも入ってもらっている方が多いかと思いますが、娘たちのおかげでいまのところはお願いしていません。普段は大好きなテレビを1日中観て気ままに過ごしています。
人生で一番幸せなことはなんですか?
いまこうして、娘たちや孫たちと一緒に過ごす時間が本当に幸せだと思います。病気でなければ尚いいけれど、病気になったからこうやって集まってくれるようになったというのも事実です。病気がわかる前から次女も三女も行事の時には来てくれていましたが、それぞれに家庭があるから、いまほどみんなが頻繁に顔を合わすことはありませんでした。
娘も孫も本当にいい子に育ってくれたことも嬉しいですね。特別な育て方はしていないのですが、私は娘たちが何かやりたいと言ったら、反対したことはありません。自分の考えを押し付けることはしたくないなと思って育ててきました。子育ての頃の思い出としては、家族みんなで、私の両親も連れて、毎年海水浴に行っていたことが浮かびます。私は水泳が得意で、海で娘たちと泳ぐのは楽しかったです。
一番の生きがいは孫です。孫の話を聴くのが好きです。みんな素直で、次女の長男は小学6年生なのですが、その日の出来事や友達のことなどなんでも話してくれます。「世界で一番ばーばが好きだよ」と会うたびに言ってくれるんですよ。次女の長女は中学2年生なのですが、その子も「おばあちゃん大好き」と言ってくれます。そう言われた時には「ばーばも好きだよ」と答えています。言葉にするのは大事ですね。三女の長男の野球チームの話を聞くことも毎週の楽しみです。いま一番楽しみにしていることは、孫とお寿司を食べにいくことです。一緒に行きたいと言ってくれて、いつ行こう、何を食べようと話すのがとても楽しい時間です。
いまどんな思いで日々を過ごしているのか、そしてこれからのことに関してどうお考えなのかを教えてください。
卵巣がんstageⅣと診断された時、はっきり余命は言われなかったのですが、stageⅣだからそんなに長くは生きられないのだろうと思いました。最期がどんなふうになるのかわかりませんが、なんとなく父の入院している姿が自分に重なって、最期は緩和ケア病棟に入ることを考えていたんです。でも、1年5ヶ月前に転倒して突然動けなくなって、がんとは違う理由で、予想していなかったタイミングで、娘たちに介護してもらう生活が始まりました。実際始まってみると、やっぱり家で過ごす方が居心地がいいし、娘たちが家でいいんじゃないと言ってくれたので、もうここにいようと決めました。病気が悪化してきても、病院には行きたくないと思っています。痛い思いをしないで、家で最期を迎えたいなと思っています。
ただ、がんの治療を自らやめたのに不思議に思われるかもしれませんが、やれる限りのことはしたい、できる限り頑張りたいと私は思っているんです。転倒してから数ヶ月はベッドの端に座ることもできない状態でした。でも毎日のように看護師さんや理学療法士さんに来てもらって、少しずつ動けるようになってきています。リハビリはスパルタです。「今日はトイレとベッドを3往復します」と私が宣言したら、もうちょっと、もうちょっとと言われているうちに5往復くらいさせられています。でもそのおかげで、先日花見に行くために外出した時には、玄関の段差を自分で降りることができました。
抗がん治療を終了することを決心したときに、自分がいなくなった後のことは娘たちに伝えています。娘たちが相続なんかで争うことになったら悲しいので、そうならないように伝えました。そういう話をするタイミングで悩まれる方もいると思いますが、自分がきちんと考えられて、話せるうちに話しておくと、気持ちも楽になります。
治療をやめてから、画像検査は一切受けていません。もしかしたら病気は進んでいるのかもしれないのですが、それを知りたいとは思いません。これからのことに関して全く不安がないとは言わないけれど、この2年くらいの間落ち着いているから、急にああもうダメなんだとはならないんじゃないかなと淡い期待を持っています。変化が起こるとしても、ゆっくりなんだろうなって。卵巣がんstageⅣと診断されてから5年5ヶ月経ちます。まさかここまで生きられるとは。ありがたいことです。1日1日大切に、孫の成長を見守って行きたいと思っています。
編集:児玉紘一
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2025年某月