体験談 2025.04.11
体験談vol.11 紫藤國弘さん(本人)と奥さん

<写真左> むすび在宅クリニック看護師
<写真中央> 紫藤國弘さん(本人)
<写真奥中央> むすび在宅クリニック 院長:香西友佳(こうざいゆか)
<写真右> 紫藤國弘さんの奥さん
・患者さんの病名:前立腺がん、認知症
・患者さんの年齢:88歳
・闘病期間:発症から現在まで11年3ヵ月
・訪問診療を受けている期間:1年1ヶ月
・家族構成:奥さん(後妻)と2人暮らし。長女さん、長男さん、次男さんが交代で訪問
・インタビューに答えてくださる方:本人と奥さん(76歳、専業主婦)
・インタビューの時期:訪問診療開始から1年1ヶ月後
紫藤さんは温室やサンルームを設計する会社を経営されており、70代になってからも第一線で働いていました。趣味は絵画鑑賞と四季折々の花を愛でることで、時々絵も描いていました。仕事は多忙ではありましたが、奥さんと過ごす時間も大事にしていました。80代になってからだんだんと認知機能が低下しましたが、それでも87歳の誕生日を迎える直前まで、週3日は自宅敷地内の事務所に出勤し、電話番をしていたそうです。
前立腺がんと診断されたのは、まだ第一線で働いていた77歳の時でした。PSAという前立腺がんの腫瘍マーカーが高いことを指摘され、針生検で前立腺がんの診断がつきました。がんは前立腺を包む被膜を超えて前立腺の外に進展しており、閉鎖リンパ節という骨盤内リンパ節への転移が見つかりましたが、遠隔転移はありませんでした。この病期での標準治療であるホルモン療法を開始することになりました。ホルモン療法とは、男性ホルモンの分泌や働きを抑えることによって、がんの増殖を抑える治療です。治療を開始してPSAは基準値以下まで低下していましたが、4年半ほど経過したときにPSAが基準値を超えて上昇したため、別の薬剤によるホルモン療法に変更しました。その後は薬剤を変更して1〜2年ほどでPSAが再上昇することを繰り返し、86歳の冬から5種類目のホルモン療法を開始しました。PSAは上昇していても、画像検査では閉鎖リンパ節転移以外には転移しておらず、前立腺の原発巣も落ち着いていました。しかし、新しい薬剤を開始してから2ヶ月後にはPSAがさらに上昇していたことや、紫藤さんの認知機能が低下して通院が大変になってきていたことから、主治医から抗がん治療の中止を提案されました。87歳の年の2月より当院からの訪問診療を開始しました。
訪問診療開始の時点で、がんによる痛みなどの症状はありませんでしたが、2時間おきの夜間頻尿、尿失禁、全身浮腫、労作時の息切れ、食欲低下、筋力・体力低下など様々な問題を抱えていました。家の中ではなんとか3m程度の歩行はできましたが、3月から何度も転倒するようになり、右肩を強打して以降は痛みのために右上肢をあまり使おうとしなくなりました。手すりを持たずに動こうとするため、さらに転倒が増えました。夜間も尿意で頻繁に目が覚め、昼夜問わず転倒するため、奥さんの負担が大きくなったこともあり、生活の立て直しと病状の評価のために近隣の緩和ケア病棟に一時入院することになりました。
入院中の検査で、がんの進行は止まっていること、転倒時に強打した右肩は幸い骨折していないことがわかりました。検査結果から様々な病状の原因は、認知症の進行と不規則な生活による心不全であると考えられました。入院生活で生活リズムを整え、食欲を上げるステロイド剤を開始し、眠剤や認知症の薬を調整したことで、徐々に状態が改善しました。ただ、入院中にも2回転倒してしまったため、移動には車椅子を勧められました。2週間後の4月末に退院した後は、そのような状況も鑑み、お子さんたちが交代で泊まりに来てくれることになりました。
入院前と比べて著しく元気になっているわけではありませんでしたが、介護の体制が整っていたことで、お家に戻ってからはあまり転倒しなくなり、リハビリの効果もあって少しずつ歩けるようになりました。時々せん妄で暴れたり、思い通りにならないと癇癪を起こしたりすることはありましたが、家族のサポートで乗り切ることができました。しかし、食事が取れるようになった分、肥満が進み、食欲を抑えるためにステロイドを減らすと、全く食欲が無くなってしまうことを繰り返し、やむをえずステロイドを継続しました。体調は一進一退でしたが、お家での生活を続けることができ、12月に米寿のお祝いをしました。
冬になって寒さのせいか、朝布団から出るのが嫌になって昼まで眠っている日が増えてきて、また生活リズムが崩れつつあります。奥さんは日々の出来事をきっちりノートに記録して医療者に報告し、長女さん(介護士)が試行錯誤して紫藤さんの生活を正そうとしてくれています。当院は週1回訪問診療を行い、状態に合わせて薬剤調整をしたり、ご家族に生活のアドバイスをしたりしています。春の兆しを感じる3月のある日に、紫藤さんと奥さんに人生と病気と訪問診療について、インタビューさせていただきました。
目次
前立腺がんと診断された時の心境について教えてください。
國弘さん:77歳の時に健康診断でPSAという腫瘍マーカーが高いことを指摘され、精査の結果、前立腺がんと診断されました。診断された時に主治医から「余命5年と考えて人生設計を」と言われましたが、私はあまりピンと来ませんでした。他人事のような感覚がありましたね。当時、痛みなどの症状も全くなく、体の不調も全く感じず、自分で自家用車を運転して通院していましたから。余命宣告後も、余命を意識することなく、終活を始めることもなく、それまで通りに過ごしていました。治療を続けながらも、仕事や旅行を楽しんでいました。
11年もの間、がんの闘病生活を続けてきましたが、大変でしたか?
國弘さん:それまでは大きな持病もなく、病院に行く習慣がなかったので、初めは定期的な通院が煩わしいと感じましたが、次第に通院も日常の一部になっていきました。薬の種類は4、5回変わりましたが、幸い、どの薬を使用している間も副作用はありませんでした。11年はあっという間で、大変だと感じたことはないですね。自分としてはまだ米寿になったつもりもないです。やりたいこともたくさんあるし、まだまだこれからって思いです。
奥さんにとって、病気の診断から在宅療養に至るまでの過程はどんなものでしたか?
奥さん:前立腺がんと診断された時はすごく驚きましたけど、夫の言うように、いままでの11年間ほとんどがんによる症状も薬の副作用もないので、がんの闘病生活を支えるのが大変だと感じたことはありません。夫はもともと仕事が人生の中心の方だから、診断されてからも87歳になる直前までずっと仕事をしていましたし、私も4年前まではパートタイムで仕事をしていて、帰宅が21時くらいでしたから、四六時中一緒に過ごすようになったのはここ4年くらいです。前立腺がんと診断された11年前から通院には同行していいます。私の職場が配慮してくれて、夫の通院の日は会社を休んで通院に同行していました。
大変だったのはがんではなく、認知症の方です。夫は87歳になる直前まで自分の会社で週3日、電話番をしていました。会社のひとから夫の尿漏れで困っているということは聞いていましたが、普段私と接している時には特におかしなところはなかったので、まさか認知症だとは思っていなかったのです。ですが、思い返せば85歳くらいの時にもおかしなことがありました。通院の帰りに近くのショッピングモールに寄って、夫がトイレに行きたいと言い、私はその間に夫の好きなフランスパンを買ってくるから、どこそこで待ち合わせしようと言って別れたのに、待ち合わせ場所でどれだけ待っても夫が来ないのです。ショッピングモールを上から下まで探して、警察署に行って事情を説明して、警察のひとに一旦家に帰るよう言われて家に戻ると、夫がタクシーで家に着くところでした。夫は待ち合わせしたことを忘れて、私がいないから家に帰ろうと思ってタクシーに乗ったそうです。それでもすぐには認知症だとは思わなくて、それから1年くらい経って主治医や周りのひとから勧められて神経内科を受診してみたら、長谷川式認知簡易知能評価スケールという認知症の検査で30点満点中18点しか取れず、認知症と診断されました。それからもどんどん進行しているという感じではなく、すごく調子が良くてすらすら会話ができる時もあれば、口数が少なくなって言葉がパッと出てこないことがあったり、急に癇癪を起こしたり、幻覚や妄想があったりすることもあるといった感じです。ここ数ヶ月は比較的落ち着いています。
1年前に病院の先生から急に「認知症が進んで病状が理解できていないから、前立腺がんは進行しているけれど、もうこれ以上の治療はできない。病院でできることはないので訪問診療を受けてください」と言われ、とてもショックを受けました。10年も通院を続けてきて、いままでは薬が効かなくなってもすぐに次の治療を提案してくれたので、このまま治療は続いて、がんが治りはしなくても、落ち着いていてくれるんだと思っていました。全然症状もないので、まさかと思いましたが、その直後に食事も取れなくなり、動けなくなり、訪問診療にきてもらうことになりました。それまでの10年と比べて、この1年はいろんなことがありましたね。
ご自身の88年の人生を振り返って、どう感じますか?
國弘さん:好きなことをやってきたから、後悔していることは全くありません。私は美術大学に通い、洋画家の坂本善三先生に師事していました。社会人になってからも週末に夜通しで油絵を描いていたこともありますし、いまでも絵を描くのが好きです。昨年転倒した際に右肩を痛めて手が上がらなくなり、手を使うリハビリのために塗り絵や図形模写の宿題を作業療法士から出されるのですが、そういったものも楽しくやっています。
社会人になってまず耕運機の設計をする会社に入り、30歳の時に温室の設計を行う会社を設立しました。当時はオーダーメイドの温室を作れる日本で唯一の会社でした。インターネットもない時代ですから、オーダーしてくれたひとからのクチコミで広まり、全国を回って、静岡でバラ専用の温室を作ったり、芸能人の自宅にサンルームとプールを手がけたりしました。いま住んでいるこの家も私が設計したもので、光や風の入り方やステンドグラスにこだわっています。どの現場でもいい仕事ができたと思います。
いまの生活にも全く不満はありません。妻とは結婚して28年になりますが、とても頼りにしています。長女も長男も次男もよく私の面倒を見てくれています。これからの生活でも不安なことは一切ないです。
奥さん:何よりも仕事が大事なひとですね。その次にお酒とお花と女性が好きだと思います。いまはそんなにお酒を飲みたがらないけれど、次男が当番の日は時々一緒にノンアルコールビールを飲み交わしています。お花も前より興味は無くなったようだけど、次男が米寿にくれた胡蝶蘭や、庭の藤の花など、花がいつもそばにある生活です。長女は近くのガーデンに車椅子で散歩に連れて行ってくれます。女性は、私と結婚してからは浮気は一切しないけれど、前妻が突然死してから私と再婚するまでの数年の間はずいぶんたくさん、何十人もの女性とお見合いしたみたいですよ。寂しがりで、誰かがそばにいないと嫌な方なんです。前妻の話も時々聞きますが、そういうのはみんな人生があるものだから、気にはなりませんね。それも含めての夫ですから。
通院していた時と比べて、訪問診療のメリットは感じますか?
奥さん:認知症と前立腺肥大のせいで、だんだん頻尿になり、トイレが我慢できなくなっていたので、外出が本当に大変でした。外来で何時間も待つことにも耐えられなくて、半日がかりで受診した後は疲れ果てていたので、訪問診療になってすごく楽になりました。通院している時は、泌尿器科と脳神経内科にかかっていましたが、それ以外でも変なあざができたり、腰が痛くなったりといったいろんな症状がちょくちょく出るものですから、全身のことを先生にまとめて診てもらえるのもありがたいですね。毎週来てもらっているので、せん妄や浮腫の状態に合わせて細かく薬を調整してもらえるのも助かります。
あと、食事がとれなくて点滴が一時的に必要だった時もすぐに訪問看護師さんが来てくれて、連日対応してくださったので訪問看護にも感謝しています。
奥さんはいつも楽しそうに介護されているように見えます。日々を楽しく過ごす秘訣はなんですか?
奥さん:夫は認知症と診断されてから半年の間に身の回りのことがどんどんできなくなりました。よく転ぶようになりましたし、何をするにも手がかかるようになっていきました。その時は私ひとりで介護をしていたので本当に大変でした。いまは子どもたちが助けてくれるし、夜眠ってくれるようになったので、かなり楽になっています。子どもたちはマメなので食べたものや起きた時間などを詳細にノートに記録して、情報共有してくれています。ノートももう5、6冊目になりました。読み返すと、長女の時は厳しく食事制限しているから食べさせているものが質素で、夏場は朝6時から散歩に出掛けているし、次男の時はちょっとおやつが多かったり、一緒に夜更かししてテレビを見たりしているから、それぞれ特徴があって面白いんですよ。
一時期は食事が取れず、水を飲む時も私がコップを持ってストローで飲ませるような状態でしたが、この1年の間に回復して、いまは体重が増えることを気にするくらい食欲が出ています。我慢が効かなくて、他のひとが揃う前に出されたものを食べ始めてしまうこともありますが、食べている姿を見ると安心しますね。これからも、調子のいい時もあれば悪い時もあるのは覚悟しています。急にせん妄が起きて、夜中に変なことを言い出した日には、今日はクジが外れたというくらいに思うようにしています。この1年でひとつひとつのことにあまり一喜一憂しすぎないように、自然となりましたね。
夫のことは尊敬しています。私だったら、ひとに任せてしまうだろうなという状況でも、自分のことはできる限り自分でしようとするひとです。耳も目も私よりいいし、テレビの配線なんかもパパッとできるし、手先が器用で、真面目です。塗り絵や計算なんかのリハビリの宿題も、私だったら面倒でやらない気がします。そういうのをきちんとするところが、すごいなぁと思います。まあ、28年も夫婦をやってきたから嫌なところもありますよ。70代になってから夫は自分の髪の毛を抜く癖ができてしまい、それが気になって、何度も喧嘩しています。でも、嫌なところはそれくらいですかね。だから、一緒にいるのは全然苦じゃないんですよ。私の姿が見えないと不安になるようで、いつも目の届くところにいなさい、と言われるのには笑ってしまいますけどね。
私は旅行が好きで、いつか夫と一緒にまた旅行したいと思って、それを目標に頑張っています。私はひとり旅行でもいいのですが、夫は寂しがりで、ひとりで留守番は絶対にできないから、なんとか夫に旅行できるくらいに回復してもらわないといけないですね。最近はトイレの間隔も空いてきたし、まずはお墓参りに行きたいと思っています。
これから病気が進んできてしまったとしたら、その時はどんなふうに過ごしたいですか?
奥さん:昨年5月にこれからの過ごし方について家族で話し合った時に、夫が私と子どもたちに向かって「私はどこにも行きません。入院するつもりも、施設に入るつもりもありません。私の生き方を理解してください。家族が大変なことはわかっていますが、いままで私が養ってきたのだから、面倒をみるのは当然です」とはっきり言いました。それまでは、介護の負担が大きくなってきたらデイサービスやショートステイも利用したいと、私や子どもたちは密かに考えていたのですが、そこまではっきり言われてしまうと、もう笑うしかなかったです。そこでみんなの覚悟が決まって、いまは一致団結して介護をしています。また大変な時には先生や看護師さんに助けてもらうことになると思いますが、夫の気持ちを尊重して、家でずっとみていくつもりです。
編集:児玉紘一
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2025年某月