体験談 2023.12.11
体験談vol6. 松本幸子さんのご家族(後編)
・患者さんの病名:膵臓がん
・患者さんの年齢:70歳(享年)
・闘病期間:発症から逝去まで9ヶ月
・訪問診療を受けた期間:40日間
・家族構成:ご主人、長男さんと3人暮らし。隣県に長女さんご家族、近隣に次女さんご家族が在住。お孫さんは2人(高校生、幼稚園児)
・インタビューに答えてくださる方:ご主人、長女さん、次女さん、長男さん
・インタビューの時期:逝去から約3ヶ月後
亡くなった時のこと
長女:母が亡くなってすぐの時は全然実感が湧きませんでした。母は、亡くなる数日前からうとうとして過ごしていましたが、まさかそんな急にと思いました。
長男:亡くなる前日は、朝からそわそわして落ち着かない様子で「今日は誰が来るの?」って不安そうに聞いてきて、「先生が来るよ」って伝えたら一旦落ち着いて眠りました。だけど、先生が来たら溜め込んでいた不安が爆発してしまったみたいで、興奮して手がつけられなくなりました。
香西:亡くなる前日の朝10時過ぎにお伺いした時は、幸子さんは眉間に皺を寄せて、焦点が合わず、ひどく混乱されていて、「体を起こして!」「痛み止めをちょうだい!」と叫んでしましたね。鎮痛剤や鎮静剤を増量して、30分くらいして落ち着きました。
長男:それからはうとうとしてて、暴れたり叫んだりすることはありませんでした。夕方に目が覚めて「いま何時?」って聞かれて、答えたらすぐにまた眠りました。たぶんそれが母の最期の言葉です。
夫:もっと「ありがとう」とかそういう言葉があるのかと思ったけど、お互いにそんなこと言い合う仲じゃないから、俺に対しては一切そういうお別れみたいな会話はなかったんだよなぁ。
香西:言葉にされなくても、幸子さんはご家族にはとても感謝されていたと思いますよ。何よりご家族のことが大好きでしたよね。最期のご様子はどうでしたか?
長男:亡くなる日の朝4時過ぎくらいに様子を見た時は、すやすや眠っていて、僕は息してるなって、ほっとして部屋に戻りました。
夫:その後、6時半に見に行ったら、止まっちゃってたんだよなぁ。
長男:呼吸をしていないことに気づいて、胸に耳を当てて鼓動を聴こうとしたけれど、音がしなくて。ああ、逝ったんだな、と思いました。
長女:みなさんこんなに早い経過なのですか?
香西:そうですね。がんの場合は、進行に伴って最期の1、2ヶ月で急速に衰弱していく方が多いです。特に最期の数日は前日できたことできなくなることの繰り返しで、ご本人もご家族もその変化になかなか気持ちがついていかず、驚かれます。でも、幸子さんの最期のお顔はとてもいい表情でしたね。全く苦しくなく眠るように旅立たれたのだと思います。
夫:そうだなぁ、いい顔だった。でもまさかと思ったけどね。喋ってると涙が出るね。
長女:亡くなった母の顔を見て、穏やかに亡くなるのはこういうことなのかなって思いました。病院で管に繋がれて亡くなっていたら、こうじゃなかったのかも知れません。
亡くなった後のこと
長女:亡くなった後の手続きはすごく大変で、1ヶ月はかなしむ暇もないくらいでした。葬儀社が説明してくれたので、何をやらなければいけないかや、やる順番は分かりましたが、例えば年金ひとつとっても、亡くなったら自動で止まるのではなく申請書を提出しなければならなくて、そういった手続きがたくさんありました。また、お葬式は数日で急いで決めないといけないし、葬儀が終わったと思ったらお墓のことを決めなければいけなくて。母がずっと以前に樹木葬がいいと言っていたので、樹木葬ができる近くのお寺を探しました。
夫:お参りにいけないような場所では困るし、雰囲気のいいところにしたいと思ったけど、あちこち見にいく元気もなくて、2カ所見ただけで決めてしまったよ。
長女:私の家のすぐそばのお寺で樹木葬をやっているところが見つかって、よかったと思います。あとは、お金のことと、スマートフォンの解約も大変でしたね。
夫:銀行口座の暗証番号は聞いておいた方がいいと知っていたけれど、本人に面と向かって聞くのは躊躇われて、どうしようかと思っていたよ。
長女:ある日突然、母から銀行カードを渡されて、暗証番号を伝えられました。母が言わなかったら、とてもこちらからは聞けなかったと思います。
夫:葬儀にも納骨にもお金はかかるから、幸子が年金に手をつけずまとまったお金を遺しておいてくれてよかったよ。
長女:こういう言い方は不躾かもしれませんが、お金がないと死ねないんだなと思いました。
香西:世知辛い世の中ですが、おっしゃる通りかもしれませんね。
幸子さんの思い出
次女:今の方がお母さんが亡くなったことを実感します。思い出さない日はありません。出かけていてもここにはお母さんと来たなって思うし、料理をしていてもお母さんの料理をしている姿や味付けを思い出します。また、子どもを叱る時はこういう状況でお母さんだったら何と言うのだろうと考えます。子どもの行事があると、行けたら喜んだだろうなって思います。夢にも毎日のように出てきます。
長女:市販のものを使わない母の味が染み付いていて、それを再現したいと思うけれど、なかなかできません。母は調味料の量は目分量で、測ったりしないから、同じように作ってもちょっと違うなって。
夫:在宅療養中も幸子はちょっとでも動ける時は餃子を作ったりなんかしてましたね。自分は食べられないのに。
香西:思い出の味はなんですか?
全員:唐揚げ!
夫:人が集まるとせっせと作ってましたよ。あと煮物かなぁ。俺と長男はそんなに煮物は食べなかったのだけど。
長女:料理は母の生きがいだったんです。あと、孫と遊ぶことかな。うちの息子がよく母にお小遣いをねだるんですが、亡くなる2日前にもほとんど眠って過ごしていたのに、孫がそばに行くと、急に起き上がってお小遣いを渡したんです。孫のためならここまでできるのか、と思いました。
次女:ももちゃん(孫、幼稚園児)が泣いている時にも母はパッと起きましたね。
夫:孫の力はすごい。幸子の生きる糧になっていたと思います。ももちゃんが小学校に入るまでは頑張らなきゃって、そういう目標があって抗がん剤も頑張っていました。
長女:誰よりも孫と遊んでいましたね。
これから在宅介護・看取りをお考えのご家族へ
香西:これから在宅介護・看取りをお考えのご家族にアドバイスをお願いします。
夫:在宅で看取ったことに後悔はありません。信頼できる在宅の医師や看護師と出会えることが大事だと思います。病院からいい先生を紹介してもらってください。
長女:私は、もう一度4ヶ月前に戻ったとしても、最期は在宅介護を選ぶと思います。お家で最期の時を過ごしたいと思っている患者さんは、遠慮せずに家族にそう伝えてほしいです。介護する方は、自分を追い詰めすぎないように、訪問医や訪問看護師に頼れるところは頼ってください。悩むことも、後悔することもあると思いますが、最期まで大切な方のそばにいてあげてください。
香西:ありがとうございました。私たち在宅医療の医療者が関われる時間はほんのわずかですが、幸子さんのかけがえのない時間をともに過ごさせていただいたことに感謝いたします。今後もお話を聞かせてください。
編集:児玉紘一
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2023年某月