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コラム 2023.03.04

死について考える3章
−自分のこれから、大切なひとのこれからが気になる方へ−

死について考える 3章

いい最期とはどんなものか

どんなに苦痛がなく安らかな最期だったとしても、患者さんやご家族にとって亡くなることはいいことではないので、「いい最期」というものはない気がします。その前提の上で、少しでも患者さんが楽に過ごせるように苦痛を緩和し、最後の希望をできる限り叶えてあげることが私たちの役目だと思っています。

そうは言っても、患者さんの希望を叶えることはとても難しく、今までを振り返って果たしてどれだけのことができたのだろうと心苦しくなります。こうしたいという希望をお聞きしていたとしても、患者さんは人間ですから、気持ちが変わることも、迷うこともあります。本当に差し迫った状況で患者さんが発した「やっぱり」を、これこそが本心だと捉えるのか、意思決定能力が低下していそうだから方針を変えるべきではないと判断するのか、患者さんを共に担当している医療チームの中でも意見が分かれます。

また、患者さんとご家族の意見が分かれてしまった時にもどちらを優先すべきか悩みます。少し前の話ですが、どうするべきだったのかと今でも考え続けている症例があります。

60代の直腸がん末期の男性で、奥様と息子さんと3人暮らしでした。会社を経営されていましたが、がんが見つかった数年前に社長職を息子さんに譲り、化学療法(抗がん剤)を受けながら、時々現場に出て息子さんや従業員を指導していました。数年間に渡る化学療法では、食事が取れなかったり、下痢をしたりと、つらい副作用がずっと出ていたそうですが、一度も根をあげたことはなかったそうです。
腰痛が強くなって、お家の中を歩くことも大変になり、通院もままならなくなって、病院の主治医からの勧めで訪問診療を開始したのは、亡くなる3カ月ほど前でした。私が訪問診療の担当医として初めてお会いした時には、骨転移による腰痛で横になることもできず、1年間椅子に座って眠っている状況でした。他にも、下痢、食欲の低下、倦怠感などの症状があり、かなりの苦痛が伺えました。
しかし、患者さんの眼光は鋭く、はっきりとした口調で、「今までどんなにつらいことにも絶えてきた。自分はできることは全てやりたいと思っている。がんに負けたくないと思っている。だから、抗がん剤も続けたいし、やれることはやってほしい。最期はお家がいいかな、家族には迷惑かけるけど」とおっしゃいました。奥様は、「このひとは仕事も家のことも子育ても全部やってくれた。全部背負って、一家の大黒柱として家族を支えてくれた。今度は私ができることは全部する番です」と決意のこもった眼差しを向けられました。奥様は他人の手を借りることに抵抗があり、訪問看護師やヘルパーが家に来ることを快く思わないようでしたが、なんとか説得の上で、訪問看護は訪問診療と同時期から開始になりました。
まず、痛みを取ることを優先し、医療用麻薬の注射を開始して、2週間後には1年ぶりにベッドで眠ることができました。「立って歩きたい」という患者さんの希望を叶えるため、訪問リハビリも行い、3週間後には少しですが介助での歩行ができるようになりました。訪問診療開始から1カ月半くらいの間は、患者さんの頑張りと、奥様や息子さんの献身的な介護と、いろいろなことが功を奏して、調子がどんどん良くなっていきました。
変化は急に訪れました。以前から軽い右足の痺れはありましたが、ある日を境に急速に両足の痺れと痛みが増悪し、3日後には両膝から下の感覚が鈍くなり、そして1週間も経たないうちに両膝から下が動かしにくいという麻痺の症状も出現しました。毎日診察している私の目にも変化は急速で、経過をお伝えするたびに患者さんの顔からは表情が消え、諦めと絶望の色が浮かびました。
奥様から「太ももから下が全く動かない!」という電話を受けて深夜に駆けつけ、診察の結果、腰の骨に転移したがんが神経に浸潤したことが強く疑われました。尿意や便意が分かりにくいという症状も出現していました。医学的には「膀胱直腸障害」と呼ばれるもので、急速な麻痺の進行と併せて、緊急性が高く、一刻も早く治療しないと改善が見込めない状況でした。
たった数日での変化に患者さんもご家族もひどく動揺していました。私はどう伝えるか、何がこの方にとって最善の医療か悩んだ結果、初めてお会いした時に患者さんがおっしゃった、「できることは全てやりたい」が一番優先すべき事項であろうと判断し、少なくともできることを提案しなければ、と意を決しました。現状起きているであろうことの説明とともに、一番治療効果の高い治療法について提案しました。ただし、それは在宅では行えず、入院が必要で、しかもその時点では画像検査の情報などがないため、治療が受けられるか、どれくらいの効果があるのかが未知数という苦しい説明でした。加えて、このままお家で、痛みの緩和やマッサージなどを行いながら経過を見ることもできるけれど、残念ながら在宅で麻痺をよくするために使える薬はなく、麻痺が自然に良くなるとは考えにくいことも、包み隠さずお伝えしました。
その上でどうしたいかお聞きしたところ、患者さんは、お家にいたいというお気持ちも強く、とても悩んでいましたが、「今のままじっと病気が進むのを見ているのはつらい。やれることがあるならやりたい」と入院を希望されました。その言葉に奥様も頷きました。すぐに病院を手配し、翌日の入院が決まりました。
しかし、翌朝奥様から電話がありました。「こんな状態で入院したら帰って来れないかもしれない。いくら私が一緒に泊まり込めると言ったって、他の家族には会えなくなってしまう。入院させないでください。先生が話して、あのひとはまた頑張る気になってしまった。どうして頑張らせるんですか。私は頑張った結果、よくならなかった時のあのひとをどう慰めたらいいのかわからない」
その後、患者さんとご家族ともう一度話し合い、患者さんは「お前たちが家にいる方がいいというならそうする。もう、俺ひとりの体じゃないもんな」とおっしゃって、入院せずお家での療養を続けることが決まりました。患者さんの瞳に以前のような鋭い眼光はなく、何かが抜けたような様子で、凪いだ静かな表情からは、本心を読むことはできませんでした。奥様や息子さんは患者さんの穏やかな態度にほっとした様子でした。
患者さんはそれ以降、ご自身の要望を発することは二度となく、何をするときも奥様や息子さんに「お前たちはどう思う?」と聞くようになりました。両下肢の麻痺と感覚障害は変わらず残存し、足の浮腫や床ずれなどの新たな問題は勃発しましたが、幸いにも、それ以降急な変化はなく、ゆっくりと衰弱が進みました。麻痺の出現から約1ヶ月半後、1泊の家族旅行に行かれた3日後に、たくさんのご家族、ご親戚の見守る中、お家で患者さんは逝去されました。

患者さんに「やれることは全てやりたい」と「最期はお家で」という、時として対立する2つのご要望があり、ご家族が後者を支持している状況で、どう話を持っていくのが正解だったのか、今も答えを探しています。奥様には「本人に話す前に先に私に相談して欲しかった」とも言われましたが、患者さん本人の意識がしっかりしている状況で、良くない知らせをまず家族に話すべきかも難しいところです。
1990年前後までは本人へのがんの告知率は15%程度ととても低い割合で、治療方針はご家族と医師が相談して決めていました¹。今でも、患者さんが重症の疾患で意識がない時など、意思決定の能力が十分にないと医師が判断した場合には、ご家族に代理意思決定をお願いすることが多々あります。しかし、患者さんに意思決定の能力がある時には、先にご家族に話すことは、患者さんのプライバシーを守る観点からも、自主性を尊重するという点からも、推奨されるものではありません。

ご家族と一緒に過ごし、旅行にも行けて、患者さんはすごく満足されていたのかもしれません。しかしながら、一度患者さんが決めたことを撤回し、「お前たちがそれがいいというならそうする。もう、俺ひとりの体じゃないもんな」と言わせてしまったことは、患者さんに信念を曲げさせてしまったのではないか、本心を言えない環境を作ってしまったのではないか、我慢させてしまったのではないかと、申し訳なく思っています。

誰に一番に伝えるべきだったか、患者さんとご家族の意見が対立した時にどう対応するべきだったかは考えなければならない点です。しかしそれ以上に、最大の反省点は、そこに至るまでに私が患者さんとご家族との関係性を十分築ききれておらず、意図を汲み取れていなかったことと、緊急性の高い状況でつらい事実を伝えて短時間で方針を決定する能力が私に不足していたこと、だと思います。今はそれを克服すべく、コミュニケーショントレーニングや意思決定支援の研修会に積極的に出席しています。

ひとが亡くなるというのは綺麗事では済みません。医師は自分が経験したことのない死に向かって、人生の大先輩を送り出しますが、その道のりにはいくつもの分岐点があり、どう道案内するかで患者さんの人生が大きく変わってしまいます。その責任の重大さを噛み締め、患者さんにもご家族にも悔いが残らない方法を必死に考え続けていきたいと思います。

余談ですが、以前葬儀屋さんに「いい最期」とはどういうものかと質問したことがあります。
葬儀屋さんの返答は、以下の通りでした。

“いい最期とは私たちにとっては「いい葬儀」という意味合いになるのですが、その方らしい葬儀で、ご遺族が集まってきちんとお別れができたらいいなと思います。

30年くらい前は200〜300人規模の葬儀が多く、ご遺族からは「挨拶回りなどに追われて気も張っていて、気づいたら葬儀が終わっていて、かなしむ暇がなかった」とのお声もありました。今は家族葬や少人数での葬儀が大半で、葬儀の形式も自由度が高まっています。葬儀は形には残りませんが、ご遺族の思い出には深く残ります。

そして、そういった、その方らしく、記憶に残る葬儀にするために、故人の人となりを聞いて、「そういう方だったらこういうお葬式はいかがですか」と提案するようにしています。ご予算や規模も大事ですが、それありきで話を進めるより、「故人だったら」という切り口でお考えいただくのが、一番ご遺族の心的負担も少ないのかなと思います。”

葬儀屋さんとは、職業も患者さんとの関わり方も異なりますが、「患者さん自身がどうしたいのか」という観点で考えること、もし患者さんが自分で意思決定できなかったとしても「患者さんだったらどう答えるか」という視点で想像することはとても大事だと思います。

執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳


¹第42回がん対策推進協議会資料 2014.2.14

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