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コラム 2023.03.03

死について考える2章
−自分のこれから、大切なひとのこれからが気になる方へ−

死について考える 2章

死が迫っていることを患者さん本人に伝えるべきか?

日本、韓国、台湾の緩和ケア病棟で亡くなったがん患者さん2138人を対象に、患者さんとご家族に死が差し迫っていることを“はっきり”と伝えた割合を調べた研究があります¹。ご家族に伝えた割合は、日本90%、韓国95.3%、台湾98.0%で、患者さん本人に伝えた割合は、日本4.8%、韓国19.6%、台湾66.4%でした。

患者さん本人に伝えた割合が日本で4.8%しかないことに驚きませんか?そしてさらに、私自身が臨死期の患者さんにそのことをお伝えした割合は1%にも満たないと思います。
余命が少なくとも週単位以上と予測され、余命をお伝えすることで、患者さんがこれからに備えたり、残された時間を有意義に過ごしてもらえると判断した場合は、患者さんの希望もお聞きした上で、余命をお伝えしています。しかしながら、もっと差し迫った状況でいよいよという時にそれを告げることが患者さんにとっていいことなのか、医師として判断に迷うところです。

これまで私が臨死期の患者さんにそのことをお伝えしたケースは、すべて患者さん本人から「あとどれくらい?」と聞かれたからでした。しかしながらこれも、察し合う文化の日本で、聞きたいけれど聞きにくいという人もいるのでしょうから、正しいやり方だとは思っていません。

今のところ私は、患者さんから聞かれたら、どうして聞きたいのかを確認したり、「どれくらいだと思いますか?」と逆に問うてみたりして、患者さんの心に波風を立てずにお答えする方法を探っています。もし、聞きたい理由が「苦しくてこのままでいるのがつらいから」だとしたら、全力で苦痛緩和に努めます。何をどう伝えるか、そして伝えた後にどう心のケアをするか、心痛な知らせをしなければならない医師として日々模索しています。

大切なひとが息を引き取る時に立ち会えなかったら

卵巣がん末期の50代の奥様をお家で看ていたご主人のお話です。奥様はいよいよという時期に来ていて、ご主人には余命数日とお伝えしていました。奥様はうとうとと1日の大半を眠って過ごし、ほんの数口の水を口にする以外は何も食べられず、それでも起きている時はご主人とお話ししたり、隣でお仕事をするご主人を眺めたりして、おだやかに過ごされていました。その日の朝ご主人は5時くらいに目が覚めて、ふと隣で眠る奥様の顔を覗いたところ、奥様が目を開け、目が合って「早起きだね」とお話をされたそうです。少し眠るからと目を閉じられた奥様を残して、ご主人が朝食を買いにコンビニに出かけて、戻られた時には奥様は息を引き取っていました。私たちが1時間後に到着した時、「僕はその瞬間に立ち会えなかったんだよね」とご主人は目に涙を浮かべて俯いていました。

実は、「少し目を離した隙に」という話はかなり多くの方々からお聞きします。ずっとそばにいるご家族がトイレに行った間に、とか、隣で眠っていて朝起きたら、と嘆かれます。

ショックを受けているご家族にお伝えしていることがあります。冒頭で死の三徴候について触れましたが、これは死を明確に定義しないと現代社会の制度上問題があるために、この三徴候をもって死亡診断をしているだけで、実際には、死はこの3つで確定に至れるほど明確なものではなく、瞬間的に起こる現象でもありません。心臓が止まる瞬間と呼吸が止まる瞬間は別ですし、脳が機能を停止するのも、細胞が活動を止めるのも全く別のタイミングです。だから、最期の一息に間に合わなかったとしても、それは死に際に立ち会えなかったということにはなりません。ご家族が到着した時、まだそこに患者さんはいます。ご家族を待っています。これは慰めではなくて、医学的な根拠に基づいて、自信を持って言えることです。

また、加えて、人生は結果ではなく過程です。大切なのは「その瞬間」ではなくて、これまで患者さんがどう生きてきたか、どういう日々を過ごしてきたかではないでしょうか?

上記の卵巣がんの患者さんが幸せだったのか、いい最期なのかは、わかりません。しかしながら、献身的に介護されていたご主人の姿や、奥様の生前のおだやかなお顔、他界された後の安らかな表情からは、深い愛情に包まれた人生であったと感じました。

執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳


¹Yamaguchi T, et al. J Pain Symptom Manage 2021; 61:315-322.

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