体験談 2025.04.14
体験談vol.12 田中雅子さんの長女さん<後編>

・患者さんの病名:緑内障による全盲、加齢性難聴、コロナ罹患後の廃用症候群
・患者さんの年齢:100歳
・訪問診療を受けている期間:1年6ヶ月
・家族構成:独居だが、長女さんと長男さんが交代で泊まる
・インタビューに答えてくださる方:長女さん(74歳、専業主婦)
・インタビューの時期:訪問診療開始から1年6ヶ月後
目次
訪問診療が開始になる前と後で長女さんの負担は変わりましたか?
先生がこうやって来てくれるようになって気持ちが楽になりました。何かあったら電話もできるし、いざとなったら助けてくれると思うと、すごく安心できます。
また、先生だけでなく、歯科や薬局の方にも訪問していただいているので、その点でも心強いです。母とふたりきりだと私がひとりで怒鳴っているような一方通行のおしゃべりになるのですが、いろんな方とお話ができて、助言をいただけると、私の脳にとっても刺激になります。精神的にだいぶ寄りかかれていると思います。
いまは看護師さんやヘルパーさんには来ていただいていませんが、いずれ母が寝たきりになったらその時はお願いすることになるかなと思います。以前デイサービスに通っていたことがあるのですが、目も見えない耳も聞こえない母にとっては違う環境に行くことがかなりストレスになるようだし、そこではうちでやるみたいに歩かせてトイレに連れていってもらうわけにはいかず、車椅子での移動になってしまうので、足腰も弱ってしまって1年くらいでやめたんです。母にとってはこの60年以上を過ごしているお家で過ごすのが一番いいと思うので、家に来てもらえる医療・介護のサービスは私たちにとってなくてはならないものです。
母は香西先生のことは覚えていて、「香西先生が来ているからね」と伝えると、その間だけはシャキッとするんですよ。私とふたりきりの時にはだらけて足を上げるのも億劫そうにする時もあるのですが、先生が足を見る時にはひょいと動かしますよね。そういう緊張感がたまにあるのも母にとって良いことだと思います。
長女さんにとって人生で一番大切なものはなんですか?また、雅子さんにとって一番大切なものはなんだと思いますか?
いま私は母の介護に全力投球ですが、私にとって一番大切なものはふたりの娘です。子どもへの思いというのは格別なものです。私の長女の夫が転勤族で、被災地を転々とする仕事なのですが、長女が石巻に行っている時は心配で心配で、健忘症になってしまいました。庭の植木を切っている途中で近所の方に話しかけたれたら、自分が切っていたことを忘れて、「親切なひとが切ってくれたのかね」と言っていたそうです。時間が経つにつれて心配も薄れて、最近は健忘症も落ち着きましたが、それくらい何よりも娘のことが気がかりです。娘には「自分たちの体を大事にしなさい。歩くことが健康の基本だからしっかり歩きなさい」と伝えています。娘に何かあったら、母のことは置いて、すっ飛んでいってしまうかもしれません。
母にとって一番大切なものは、いまはもう亡くなっている末の弟と、息子でしょうね。母の記憶は時々子どもの頃に戻るようで、弟の名前を呼んでいる時もあります。息子のことは「まーくん、まーくん。ご飯食べた?」と毎日うるさいくらいですよ。息子のことは覚えていて、娘のことはすっぽり抜けるようで、私のことは用のある時以外は呼ばれません。「私は誰でしょう?」と聞いても、「え?え?」なんて言われるんですよ。トイレに行きたいとかそういう用がある時だけ、「れいこ!」と呼ばれます。弟に嫉妬することもないとは言いませんが、母の息子への想いというのはそういうものなんだろうなと割り切っています。
雅子さんの状態が悪化した時にはどうしたいですか?雅子さんご自身は、何かそのことについておっしゃっていましたか?
母自身は、いまは将来どうしたいかを考えられるような状態にはありませんし、もっと元気な時でも老後のことは一切考えないひとでした。お寺で育っていますが、特別な宗教観も信仰心もありません。母の時代は食べること、生きていくことに必死でしたから。
私としては、母は何があってもここで香西先生に診てもらいたいと思っています。どんな状態になっても、病院に入れたくはないです。90歳の時に下血で入院した時、ひとりで動いてしまうので身体拘束をされたのですが、その姿が本当に可哀想だったんです。そんな姿はもう見たくありません。ですが、弟は私以上に心配性ですから、その時になってみないとなんと言うかわかりませんね。
長女さんご自身の老後はどのようにお考えですか?
幸い、私はいまは腰が少し痛いくらいで体の不自由はほとんど感じていません。8割型健康体だと思っています。でも、もう74歳で、以前と比べると脳の機能が落ちてきたなと感じることはあります。先のことも考えないといけない時期に来ていますね。
少子化が進んで、日本の人口構成は逆ピラミッド型になりますから、次の世代は私の世代より少ない人数で実父母と義父母の両方の老後に関わらなければいけなくなり、かなりの負担がかかります。私が母にしているのと同じように介護して欲しいと、娘にはとても願えません。私にとって何より大事なのは娘たちの幸せです。私は自分のことが自分でできるうちは家で過ごしたいと思いますが、そうでなくなった時には、施設に入るしかないと思っています。できるだけその時が先延ばしになるように、頑張って体を鍛えています。74歳のおばあちゃんですが、地下鉄の階段を一段飛ばしで登っていますよ。
長女さんのように、笑って楽しく介護する秘訣を教えてください。
私は母の介護に全力を注げる状況にあるので、それは恵まれていると感じます。私の夫も認知機能が落ちてきてひとりでの生活がままならなくなりつつありますが、一応は理解があって、私が週の半分以上を母のもとで過ごすことを了承してくれています。まぁ、夫がダメだと言ったって、母を優先しますけどね。それに、私には孫がいませんから、孫の面倒を見る必要もないし、娘達はそれぞれに自立していて、どうしてもという時は頼ることもできます。弟が週2日は泊まりに来てくれていて、ひとりで母の介護している訳ではないのも大きいです。
それに、私にはこれといった趣味はないんです。みなさん旅行に行ったり習い事をされていたりしますが、私は旅行も嫌いだし、特に何かやりたいということもないんです。だから、介護に時間を取られてやりたいことがやれないというストレスを感じることはあまりありません。そんな中で強いて言うなら、私にとっての気分転換は植木を切ったり、土をいじったりすることです。自然のものに触れていると心がホッと落ち着くのを感じます。旅行より穴を掘っているのが好きという変な質でよかったです。
あとは、この実家は私が小学1年生の時から住んでいる場所ですから、近所の方でも顔見知りが多くて、ちょっとお買い物に出た時などに道端でおしゃべりすると、気分が晴れますね。
これを聞いた方が共感されるのか、不思議な気持ちになるのかわからないのですが、私は母の姿が、私の娘が赤ちゃんの時と重なる時があります。母を着替えさせたり、トイレの介助をしたりしていても、なんだか子どもの世話をしているような感覚になって、幸せな気持ちになるんです。赤ちゃんを抱きしめた時のあのなんとも言えない温かい感情がふわふわと湧き起こってくるのを感じます。だから、おしっこの片付けだって、そんなに汚いとも思わないんです。
あとは、そんなに真面目に介護をしていなくて、母をからかったりして、程よく遊びながら介護しているから笑っていられるというのもあるかもしれません。私はひとを驚かせたり、イタズラをしたりするのが好きなんです。例えば、娘が小学生の時には、玄関のドアノブに青虫をくっつけておいたり。娘が2階から降りてくる時に、リビングで死んだふりをしたりして驚かせていました。母と一緒にトイレから電車ごっこでえっちらおっちら戻ってきた後で、母が疲れてベッドに横になりたいのはわかっているけれど、「もう少し座ってる?」と聞いて、母がやだやだと言い出すのを聞いて笑っています。
母が、熱が出たり、いつもより活気がなかったりするとすぐ不安にはなりますが、そうでないときは、まぁこんなもんだろうとやれる範囲でやっています。きっちりやろうと根を詰めてやってたらとても身が持ちません。毎日同じことの繰り返し、同じことをやっているから、普段はあまり脳を働かせずに淡々と行っています。あまり考えていないから、そこまで疲れないのかもしれません。いまのように笑っていられるのも、自分の心身に余裕があるからだろうと思います。だから、自分の体を大切にするのも大事ですね。無理はできないお年頃ですから。
編集:児玉紘一
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2025年某月