院長対談 2023.03.17
東京都健康長寿医療センター
緩和ケア内科部長 齊藤英一
むすび在宅クリニック
院長:香西友佳(こうざいゆか)
東京都健康長寿医療センター
緩和ケア内科部長:齊藤英一(さいとうえいいち)
齊藤先生の紹介:東京学芸大学障害児教育を中退、1989年に佐賀医科大学へ入学。
順天堂大学外科でトレーニング後に静岡で外科、消化器科、緩和ケア、在宅医療に長年勤しむ。ピースハウス病院でホスピス緩和ケア、在宅緩和ケアを研修後、東京都健康長寿医療センター緩和ケア内科に赴任し現在に至る。
目次
二人の出会いについて
香西:
私が救急、内科、リハビリを経て医師8年目の時に、緩和ケアについて学びたいと健康長寿医療センターの緩和ケア内科を訪ねたのが齊藤先生との出会いです。
齊藤:
とんがっていると言うか若いなぁと言うか、緩和ケアの研修以前に、この子のこれからを見守らなければならないなと思ったのを覚えています。
香西:
齊藤先生にはプライベートなことも含め、何かと気にかけていただきました(笑)。緩和ケア病棟で勤務していた2年間もその後もお世話になりっぱなしですね。他の先生方はがんを診てきた上で緩和の道に進むことが多いと思うのですが、私はそれまでほとんどがん診療に携わっていませんでした。なので、初めは終末期の変化についていけず、とても戸惑いました。患者さんに何をどう話していいかもわからず、研修医のように右往左往しました。
齊藤:
でも、内科研修をきちんとしていたから、症状に対しての基本的なアセスメントはできていましたよ。緩和ケアの知識や技術は短期間でも習得できるものですが、緩和ケアの態度というか、哲学はその方の生き方や死生観によるところが大きいと思います。
「緩和ケア」とは
齊藤:
緩和ケアぐらい語る方によって意味するところの違いが大きい医療用語も少ないのではないでしょうか?終末期ケア、エンドオブライフケアだと思っている方も未だに少なくないですね。
香西:
私も緩和ケア研修を始める前はそう思っていました。医療者でもそうなので、まして患者さんの中には「緩和ケアを勧められる」=「末期だと宣告される」という意味に感じ、緩和ケアにネガティブなイメージを持つ方もいらっしゃると思います。
齊藤:
緩和ケア=終末期ケアという捉え方は必ずしも正しくありません。緩和ケアは、終末期ケアも含めた医療やケアの根底にある基本的な考え方でアプローチです。
香西:
緩和ケアはさまざまな疾患、特に生命を脅かすような病に直面している方々に対して、苦しみを取り除くために行われるケアで、もちろん病気の検査や治療と同時進行で行われるものです。病気を治すか緩和を選ぶかという二択ではありません。患者さんが痛かったり、つらかったりしたら、それを和らげようとするのは当然のこと。医者である前に人として、目の前の困っている人に手を差し伸べるのも、当たり前のこと。緩和ケアは病める人全員に必要なことです。
齊藤:
私自身は緩和ケアをいろいろな言い方で伝えていますが、「苦痛を和らげること」「希望を叶えること」が緩和ケアの本質だと説明することが多いように思います。
香西:
痛みなどの身体的苦痛を取り除くことだけでなく、重大な病気がわかってショックを受けている患者さんの話を聞いて寄り添うことも緩和ケアですし、患者さんの家族を支えることも、病が原因で仕事ができなくなったら社会福祉制度を活用できるよう調整していくのも、緩和ケアの一環です。緩和ケアが、ポジティブで明るいイメージのものとして広がってくれたらいいなと思います。
在宅緩和ケアと緩和ケア病棟の役割や違い
齊藤:
緩和ケアの基本は、いつでも、どこでも、誰でも受けられることです。提供される場で緩和ケアの本質に違いはありません。
香西:
緩和ケアは患者さんやご家族のご要望や想いありきのもので、私たちはそれに沿って支援します。場所によって根本的な方針や緩和ケアの精神は変わらないということですね。
齊藤:
役割の違いといえば、私の考える緩和ケア病棟は、それ以外の場所で和らげることが難しい苦痛を和らげる、専門的で高度な緩和医療を提供する場であることだと思います。
香西:
在宅でも緩和ケア病棟と同じクオリティの医療が受けられることが理想ですが、実際には在宅では看護師が24時間ついていることはできないし、訪問診療も1日3回程度が限界です。なので、悔しいですが、1日に何度も薬の量を調整しないと痛みが取れない場合や、せん妄などで目が離せない場合は緩和ケア病棟への一時的な入院が必要になることがあります。また、オンコロジー・エマージェンシーと呼ばれる、急な出血、突然の脊髄神経麻痺などの際にも緊急入院がやむを得ない時があります。
齊藤:
そのほかにも、現状の在宅緩和ケアと緩和ケア病棟の違いのひとつに、緩和ケア病棟の方が多職種ケアの実践が在宅より充実している傾向があることが挙げられます。例えば、医師からの病状説明に看護師や心理士が同席し、悪い知らせを受けた患者さんやご家族の心のケアにあたります。また、音楽療法や園芸療法、アロマセラピーなどを提供している緩和ケア病棟もあります。MSW(医療相談員)は、患者さんの社会制度面や金銭面の悩みを引き受けています。
香西:
緩和ケア病棟では患者さんを支える人材が在宅よりも豊富なので、ただ入院して医療者がそばにいるというだけではない安心感がありますね。在宅でも医師、看護師、薬剤師、介護職員などの多職種でケアにあたりますが、緩和ケア病棟と比べるとまだまだ人材が足りず、患者さんの心のケアをご家族に委ねてしまっているところがあり、今後の課題です。また、在宅では病院よりも多職種の連携が取りにくいという点も今後の課題です。病院ならほぼ毎日スタッフ全員が集まって会議を行い、入院患者さんの情報共有をしていますが、在宅では多職種が別々の事業所に所属しているため、そういった機会を持つことが難しいです。ただ、できないままにしておくのはよくないので、Web会議システムなどを利用して定期的な打ち合わせを開催できるよう働きかけていきます。
齊藤:
逆に緩和ケア病棟のデメリットとして、現状ではがん患者さん以外の受け入れが難しい点があります。本当は緩和ケア病棟のご利用を望まれるすべての方に門戸を開きたいのですが、制度やマンパワーの問題で実現は厳しいです。
自分自身はどんな最期を迎えたいか
たくさんの方々の最期に向き合っている緩和医として、どんな最期を迎えたいか
齊藤:
どう死ぬかというのは結局どう生きるかという問題だと思います。私の希望は、苦痛がないこと、尊厳が守られること、ケアラーに大切に扱われること、愛するひとたちと個人的な時間を過ごすことでしょうか。死は極めて個人的な出来事だと思うので、私は可能なら家族にだけ囲まれて最期の時を過ごしたいと願っています。
香西:
家族をとても大事にされている、先生らしい答えですね。死について考えると、自分にとって本当に大切なものが見えてくる気がします。
齊藤:
香西先生は初めて会った時に自分の亡くなる場として、大切な人たちと楽しく過ごせる空間を作りたい、そのために救急、内科、リハビリの研修をして、最後に緩和ケアの研修をしに来たと言っていました。今もその気持ちに変わりはないようですが、人生とか生きるということについての眼差しは以前とはずいぶん変わったように感じます。いかがでしょうか。
香西:
正直に言いますと、緩和ケア病棟や訪問診療でたくさんの患者さんの人生に関わらせてもらって、迷いが出ました。自分のこれからの人生が1本の道ではなく、たくさんの枝分かれがあることに気づいてしまって、どう生きるのか、改めて考えているところです。最期まで友達と一緒に過ごしたいという想いはずっとありますが、それ以外にもいろいろとこうしたい、ああしたいという想いが出てきて、わがままになっています。先生のおっしゃる通り、どういう最期を迎えたいかは、どう生きるかと同じ問いだと思います。今はそれに無理に答えを出そうとせず、もっといろんな人と出会って、見識を深めていきたいです。
齊藤:
自分が緩和ケアに携わっているのは、自分の死のためのライフレッスンと思うことがあります。しかしそれはいくらレッスンを積んでも十分準備できるものではないというのも実感しているところです。
香西:
私は医師として何人もの臨死に立ち合っていても、ひとが亡くなることに感情面で慣れることはないと感じます。まして、自分や家族だとその時を想像することはとても怖いです。しかし、いまアドバンス・ケア・プランニング(尊厳ある人生の最終段階を過ごすために、医療や介護に対する本人の希望を事前に聞き、皆で話し合い共有しておくこと)が救急や緩和の現場で主流になってきています。高齢化と医療の進歩が同時に進み、寿命や老衰という概念は朧げになり、治療には選択の幅が出てきています。また、家族など意思決定の代理人は1/3の確率で本人の意思決定とは違う選択をすることが研究でわかっています¹。こういう時代だからこそ、患者さん本人のためにも、ご家族のためにも、自分の意識がはっきりしているうちにたくさんのことを話しておくべきだと思います。
現状の終末期医療の問題と課題
香西:
厚労省の資料によると2020年に自宅で亡くなった方の割合は全死亡者の14%程度で、ここ10年ほどは大体同じくらいの割合です。しかし、日本財団が2020年に全国の67〜81歳の男女計558人を対象に行ったアンケート調査では約60%の方が人生の最期を迎えたい場所として自宅を希望されていました。実際に死に直面したら考えが変わることもあるだろうし、急性の疾患など病院で亡くなることがやむを得ない場合もありますが、在宅看取りの希望が十分叶えられていないことは事実だと思います。
齊藤:
自分の最期を自分の望むように過ごすことはとても難しい状況です。一番の問題は、制度として終末期に理解がなく施策が貧しいことでしょう。疾患の種類に関わらず、治療が困難になった患者さんを受け入れる医療施設は少なく、そこでの医療やケアの質は満足できるものではないと言っていいでしょう。
香西:
一般病棟では長期の入院は難しいですし、長期療養のための療養型病院では人員配置基準が48人の患者さんにつき医師1人と非常に少ない設定になっています。医師以外の医療者も一般病棟より少ない割り当てで、医療者がひとりひとりの患者さんのそばにいられる時間は限られたものであり、患者さんが1人で過ごす時間は非常に長いです。もちろん、すごく手厚い医療を行なっている療養型病院もありますが、この制度は現場が見えておらず、自分がその患者さんの立場になったことを考えられていないと思います。
齊藤:
家族の構成単位が小さく介護力も乏しいため、在宅療養も誰もが望めるものではありません。さらに言えば、在宅医療・介護を担う人材の質と量の問題もあります。
香西:
医療介護制度の問題。治療が困難になった患者さんを受け入れる医療機関の不足。家族の構成単位が少なく介護力が乏しいこと。在宅医療を担う人材の質と量が不十分であること。問題が山積みですね。
齊藤:
誰もが等しく迎える終末期について、大きな制度改革や同時に啓蒙が必要でしょう。現場を知る人間が声をあげて、変えようとしていく姿勢も大事です。
10年後の終末期医療に向けて
齊藤:
首都圏については悲観的な見通ししか見えてきません。終末期を迎える人口の増大に見合う制度改革や保障制度がなく、施設、人材がどれもさらに不足するのが明らかな上に、この国の経済力や労働力の低下、税制や社会保障制度の崩壊など、終末期医療を支える社会資本の圧倒的な不足しか見えません。
香西:
現状でも多くの問題を抱えている中で、先の見通しはかなり厳しいものですね。私に日本全体を変える力はないですが、せめて関わった方々がいい時間を過ごせるよう、まずは自分のクリニックの質を上げていくところから始めていきたいです。齊藤先生は、この厳しい日本の状況下で少しでもいい最期を迎えるために、ひとりひとりがどのような準備・対策をしておくのがいいと思われますか?
齊藤:
死は生の最期の形です。ひとは自然の経過として亡くなるものだと言うことを、ひとりひとりが理解して生きていくこと、自分の死について考えて備えておくことは大切だと思います。また、医療介護者を含め、信頼し支え合える人間関係を作っておく事も大切ですね。
香西:
ただ闇雲に不安を煽るだけでなく、予防医療や終末期医療に関しての医療者向け、患者さん向けの正しい情報の発信も必要ですね。少ない人材、資源でより良い医療を提供するための仕組みも考えていきます。
最後に、こういった厳しい状況下ではありますが、私は自分の理想とする医療やケアを提供するための一歩を踏み出せたこと、そしてそれを齊藤先生という恩師に支えていただけることを大変ありがたく思います。ひとりでは何もできません。逆に、仲間がいれば、どんなことも知恵を出しあって乗り越えられると信じています。今後ともお力添えよろしくお願いいたします!
ファシリテーター・編集:児玉紘一
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2023年1月29日
¹Shalowitz DI, Garrett-Mayer E, Wendler D : The accuracy of surrogate decision makers: a systemic review. Arch Intern Med, 166(5):493-7, 2006.