体験談 2025.12.15
体験談vol.28 田中弘樹さん(仮名)の奥さん<後編>

・患者さんの病名:S状結腸がん
・患者さんの年齢:46歳(享年)
・闘病期間:発症から逝去まで3年8ヶ月
・訪問診療を受けた期間:4ヶ月半
・家族構成:奥さんと2人暮らし
・インタビューに答えてくださる方:奥さん
・インタビューの時期:逝去から2ヶ月後
・インタビュー同席者:池袋本町訪問看護ステーション 村島看護師

弘樹さんの食欲に関する思い出
香西:弘樹さんと言えば食欲というくらい、食に対する情熱がすごかったことをよく覚えています。腸閉塞を再発してしまうからダメだと言っているのに、食欲が抑えられなくて、すごい量を食べていましたね。そこまで食べる方ってなかなかいらっしゃらなくて。奥さんが食べていたものを記録してくれていましたが、私だったら食べようと思っても食べられないなという量でした。実は記録していない物もありましたか?
奥さん:はい、あれでもかなり抑えていて。私も先生に怒られるからと止めたんですが、私が知らないうちに食べていることもありました。お腹が空いて、深夜に起きて、勝手に冷蔵庫や棚を漁って食べちゃうんです。私が朝残骸に気付いて、「何をどれくらい食べたの?記録しなきゃいけないから!」と言っても「なんだっけ?」ととぼけて教えてくれなかったんです。だから、記録している以上に確実に食べていましたね。
香西:当時はヒヤヒヤしましたけれど、いまとなってはあのあと食べられなくなってしまったので、そのとき思う存分食べてもらってよかったのかなとも思います。
奥さん:もし食べさせていなかったら、まだ頑張れていた可能性もあるんでしょうか?
香西:腸閉塞は常に起きている状態で、それが悪化するか、ギリギリを保つかの状況でした。進行がんによる完治が難しい腸閉塞を抱えている患者さんが食べていいかどうかは、排便があるかと、食べた時に気持ち悪くなったり、腹痛が起きたりしないかが一番の基準になります。弘樹さんは、毎日排便があったし、吐き気や腹痛がある時には食べないでいてくれたので、ギリギリを保てました。もし弘樹さんが食べなかったら、もっと悪化していた可能性もあります。食べていたので栄養状態が維持できていましたし、食べても痛くならず、排便がたくさんあったのは、身体が食べることを受け入れていたということだと思います。弘樹さんは刺激物やアルコールなどの無茶なものは食べていなかったので、無意識のうちに食べていいものや量を判断していたのかもしれません。なので、食べたことは悔やまなくていいと思います。
奥さん:腸を使い過ぎてしまったのかなと思っていました…。
香西:46年弘樹さんの暴食に付き合ってきた腸ですからね。普通の人の何倍かは仕事をしているでしょうね。好きなものを好きなだけ食べる人生も悪くないんじゃないかなと思います。ただ、もう少し一緒にいたかったですね。
奥さん:そうですね。もう少しいけるかなと思っていたんですけどね…。バイパス手術して腸が通るようになって、抗がん剤も再開できたので、年内はいけるかなって…。手術の時にはお腹を開けてみたら腹膜播種がびっしりついていたみたいで、どうしようもないくらいだったと聞きました。悲しいけれど、そんな身体でよく頑張ってくれたとも思います。

弘樹さんと過ごした最期の2ヶ月間
香西:6月7日から腹痛と嘔気嘔吐が出て、腸閉塞が再発していることはわかっていましたが、食事を控えてお家で過ごしていました。弘樹さんが胃管はどうしても入れたくないというので入れずに様子を見ていましたが、6月9日に排ガスがあって少しほっとしていました。6月11日に症状が少し落ち着いたタイミングで定期受診に行ったら、そのまま即入院になってしまって、すごく焦りました。症状が落ち着いたら早く帰ってきてほしいと思い、時々病院の先生に連絡をして、在宅チームはいつでも受け入れOKですと伝えていました。帰ってきてくれてよかったです。
奥さん:夫も帰りたがっていたのですが、病院としては中途半端な状態では帰せないと言われてしまいました。本人はとにかく一番早く帰れる方法にして欲しいと言っていました。イレウス管のままか、胃瘻を造るか、バイパス手術をもう一度行うかの3択で、管がずっと入っているのはあまりにもつらいから、胃瘻を選びました。バイパス手術は数ヶ月入院になってしまうから、選択しませんでした。
香西:入院になってしまう前日に、弘樹さんにどんなに嫌がられても胃管を入れておけばよかったなと後悔しました。
奥さん:受診してレントゲンを撮ったら、診察室で即、胃管を入れられました。入れた途端にバケツにすごい量の排液があって、すごく楽になったと言うので、早くやっとけば良かったのにと思いましたね。

香西:やっとの思いで自宅に戻られて、弘樹さんと過ごした最期の2ヶ月間はどんな時間でしたか?
奥さん:その2ヶ月は不眠不休でした。
村島(池袋本町訪問看護ステーション 看護師):私たち看護師が目の前にいても、「みよちゃん」と呼ぶんですよね。鎮静剤を使って朦朧としていても、奥さんがそばにいないと気づくと、ベッドをカンカン叩いて呼んでいました。奥さんはどんな時でも必ずすぐに飛んできていて、弘樹さんに「ちょっと待って」と絶対言わなかったのが、私は本当にすごいと思いますし、尊敬しています。
奥さん:私がトイレに入っている時にも介護ベッドについているブザーを連打されて、「いまトイレ!」って怒鳴ったことはありますよ。喉が渇いたと言われたから飲み物を取りに行こうとしたら、その間にもブザーを連打されたり、柵をカンカン鳴らされたりして、イライラして強い口調になってしまうこともありました。
香西:弘樹さんはそれくらい片時も離れず、奥さんと一緒にいたかったんですね。なにかしてほしいというより、そばにいてほしいという気持ちが一番強くて、少しでも気配がなくなると呼んでいたんでしょうね。
奥さん:それはあるかもしれないですね。私はブザーを連打されて、早くあれこれやってと急かされているような気持ちになりましたが、私が不機嫌になったのを察知すると、「なんで怒るの?」と純粋な瞳で見つめてきました。夫はただ来て欲しかっただけなんですよね…。最後の方は口調も発言も子どもみたいになっていって、可愛かったですね。あの時もっともっと優しくすればよかったと後悔しています。
香西:亡くなる前は、この世で身につけたことを一つ一つ手放して赤ちゃんに還っていくような過程なので、見栄や常識が外れて純粋な素直な欲求になって、「みよちゃんと一緒にいたい」というお気持ちになって奥さんを呼んでいたのだと思います。病院だとあまりプライベートな時間を持てなかったでしょうから、弘樹さんが家で奥さんと過ごせてよかったと思います。
村島:みよちゃんのおかげで、弘樹さんは家で過ごすことができました。みよちゃんには本当に感謝されていると思います。
香西:本当に奥さんはよく頑張りましたね。弘樹さんは最期の1ヶ月はCVポートからの中心静脈栄養、胃瘻、尿カテ、在宅酸素、医療用麻薬と鎮静剤の持続注射と、ありとあらゆる管が身体についていましたし、あの状態だと怖くて家では看れないというご家族も多いと思います。奥さんは新しい医療機器や薬剤が開始になっても、すぐに操作方法を獲得されて、弘樹さんのためにやれる限りのことをやってくださったと思います。
村島:おふたりとの関わりの中でたくさん学ばせていただきました。弘樹さんがみよちゃん大好きっていうのが常に出ていましたから、温かい時間でした。弘樹さんは言葉にすることはできなかったかもしれないけれど、お家で過ごせたことを奥さんにとても感謝されていると思います。胃瘻からガスを抜く作業や、深夜の眠剤の投与など、本当に大変だったと思うのですが、数回やり方をお伝えしただけでさらっとやってのけたところが、すごいなぁと思いました。奥さんとしては、もう少しこうしてあげたかったという思いがあるかもしれないけれど、私たちからしたら完璧でした。
奥さん:本人が自宅希望だったので、やるやらないではなく、やらなければならなかったという感じです。病院からはいつでも来てくださいと言われていましたが、最期に入院させる選択肢はありませんでした。私が一番避けたかったことは、夫が病院にいて、私がいない時に亡くなることでした。家でもそういうことはあると思いますが、病院よりはその可能性は低くなるかなと思っていました。最期は絶対そばにいたかったんです。いろいろな方によくやったと言っていただくのですが、自分ではなかなか納得がいかないです。もっと…もっと、やれたことがたくさんあるんじゃないかって。夫にばかり我慢させたり、頑張らせたりしてしまったんじゃないかって。
香西:弘樹さんがいまの奥さんを見たら、なんと声をかけてくれるでしょうか?
奥さん:…なんて言いますかね?「みよちゃん、まだ泣いてるの?」って言いそうですね。夫はいつもにこにこしていて。この前は夫の誕生日だったので、ケーキを買ってきて家で過ごしていました。毎日ずっと夫のことを考えています。独り言がすごく多くなりました。
村島:本当に弘樹さんはいつもにこにこしていましたね。食べ過ぎた時も「食べちゃいました」って言いながら、ニコッと笑うから、怒れなかったですよね。
香西:奥さんも弘樹さんにずっと笑顔で接していましたね。
奥さん:あの時期はいっぱいいっぱいで、思い出せないことも多いです。人生で一番頑張った期間でした。
香西:弘樹さんは使えるエネルギーは全て使い果たして逝かれたと思います。最期にラーメン食べさせてあげたかったですね。
奥さん:そうですね。勝手に食べさせることはできなかったので、次の日先生が来たらラーメン食べていいか聞こうねと話していたんです。それでお聞きしたら、まずはスープを飲んで、お腹が痛くならなかったら、その後麺も食べていいと言ってくださったので、先生が帰った後に「スープ飲む?」と聞いたら、ラーメンの気分じゃなくなったのか、アイスしか食べませんでした。
香西: あの状態でラーメンを食べたいとおっしゃったことには驚きましたが、それも含めて最後まで弘樹さんらしかったのではないでしょうか。そしていまも、奥さんがこれだけ弘樹さんのことを考えてくれているのは嬉しいんじゃないかなと思います。

こういう制度やサービスがあればもっと在宅療養が楽になったなと思うものはありますか?
私が大変だったのは、夜に頻回に呼ばれてしまい、特に最後の2ヶ月は不眠不休だったことです。でも、夫は日中の看護師さんがいる時でも「みよちゃん」と呼んでいたから、介護手が足りないというより、寂しくて不安で私を求めていたのだと思います。24時間看護師さんが滞在してくれていたり、深夜にも定時で来てくれたりしていたとしても、あまり私の疲労は変わらなかったかもしれません。むしろ、誰かがいると私も気を遣ってしまうので、そういったサービスがあっても私は使わなかったかなと思います。もし同じ状況に戻ったとしても、自分でやることを選択していたと思います。ただ、本当にどうしようと困った時には夜中にも看護師さんに来ていただいたので、助かりました。いまある訪問看護、訪問診療で在宅サービスは私たちにとっては十分です。訪問看護や訪問診療のおかげで、お家で過ごすことができました。本当に感謝しています。ありがとうございました。

編集:児玉紘一
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2025年某月