体験談 2025.03.17
体験談vol.9 原田紘介さんの奥さん③

・患者さんの病名:肛門管がん
・患者さんの年齢:46歳(享年)
・闘病期間:発症から逝去まで3年2ヶ月
・訪問診療を受けた期間:11日
・家族構成:奥さんと2人暮らし
・インタビューに答えてくださる方:奥さんの千里さん(33歳、自営業)
・インタビューの時期:逝去から約4ヶ月後
後悔していること②−亡くなった後のことを話し合うタイミング−
香西:退院のタイミングのほかに後悔していることはありますか?
千里さん:彼と亡くなった後のことを話し合いたかったです。葬儀のことや誰に連絡をするかなど、ずっと話し合いたいと思っていて、3月の入院のあと何度か聞いたのですが、「家に帰ってから考える」と言って全然話してもらえなかったんです。退院してからは、退院したその日だけはまともに話すことができましたが、その時はまさか翌日からあまり話せない状態になるとは思っていないので、やっとお家に帰れた安堵感でまったり過ごしてしまって、真剣な話はしませんでした。その時に聞いておけばよかったと思います。
香西:原田さんは先のことを考えるのが怖かったのかもしれないですね。あと1週間話せる時間があったとしても、原田さんはずっと「後で考える」って言ったような気がします。
千里さん:ああ、それはあるのかもしれません。弱音とかネガティブなことは一切言わないひとだったから。
香西:あとのことは千里さんに任せればなんとかなると思っていたのかもしれません。その後のことを考える余裕なんてなくて、その時間を精一杯生きていたのだと思います。千里さんは聞かなかったことで原田さんの要望通りにできなかったかもしれないことを悔やんでいるのでしょうが、案外原田さんには、言わずに逝った後悔は一切ないかもしれないです。そういう意味では亡くなった後のことは千里さんがやりたいようにやってあげるのが一番いいと思います。
千里さん:そうですね。確かに、自分のいない世界のことなんて考えられないひとかもしれません。
香西:お家にたくさんの方がお見舞いに来ていましたが、原田さんのご希望ではなくて、千里さんが連絡されたのですか?
千里さん:はい、私が連絡をとりました。彼は病気のことを隠しているわけではありませんでしたが、同じチームのメンバーにも自分から積極的に話す感じではありませんでした。彼も私と同じで、相手を暗い気持ちにさせるような話題は出したくなかったんだと思います。あと、自分の言葉で病気のことを説明して病気であることを認めるのも嫌だったのかもしれません。だから、病気のことを知らないままのメンバーも多かったのですが、サッカーが全てのひとなのに、その一番大切なメンバーと顔を合わせずに終わるのは違うなと思って、勇気を振り絞って、私とは一度しか会ったことのない方も含めて知っているひと全員に連絡しました。
香西:たくさんの仲間に囲まれて声をかけてもらって、きっと試合中の声援のように、原田さんは勇気付けられたでしょうね。千里さんが連絡をしてくれて、原田さんもお相手の方も感謝されていると思います。
大切なひとから「死にたくない」と言われて
香西:少し踏み込んだ質問かもしれませんが、原田さんが落ち込んだり、泣いたりすることはありましたか?
千里さん:彼はずっと「大丈夫。治る」と言っていて、心からそう思っている様子でした。骨盤内蔵全摘術の時や、3月の入院の時でさえも弱音は吐きませんでした。最後の退院の直前、5月末くらいに主治医から「手の施しようがない」と言われた時に初めて泣いている姿を見ました。「死にたくない」って泣いていました。
香西:そんな原田さんの姿を想像すると、胸が苦しくなります。
千里さん:私も胸が押しつぶされそうで、見ていられない気持ちになりましたが、同時に「やっと見せてくれたな」とも思いました。彼はおそらく私にしかそういう姿は見せたことがないです。誰にも弱いところを見せられなくて、つらかっただろうなって。「死にたくない」って気持ちを吐き出したことで、少しでも彼が楽になってくれていたらいいなと思います。
香西:死にたくないと言われて、千里さんはどう応えたのですか?
千里さん:ふたりで泣きました。いっぱい泣いて、でも、次に会ったときはいつもの彼でした。彼はもう、「大丈夫、なんとかなる」とは思っていなさそうだったけれど、たぶんもっと一緒に過ごせる時間はあると思っていたんじゃないかな。ネットでご飯屋さんを検索していて、「何を見ているの?」と聞くと、「自分は食べられないけれど、私に食べさせてあげたいから」って。優しい人でした。
香西:自分のことで一杯一杯になって当然の状況で、ふたりで過ごす時間のことを考えてくれるなんて、かっこいい方ですね。
原田さんの思い出とどう向き合うか
香西:原田さんのことを考えない日はないですか?
千里さん:そうですね。なにをしていても考えますね。
香西:どんな姿が浮かびますか?
千里さん:楽しかった時のことももちろん思い出すのですが、同時に闘病中や在宅療養中のしんどそうな顔が浮かんでしまいます。何度も入退院を繰り返していたのですが、退院の時にはいつも「このままケンタッキーを食べに行こう」などと言って帰りにふたりで寄っていました。でも、昨年の10月に骨盤内蔵全摘術という大きな手術を受けた時には、手術の前は元気だったのですが、術後には一気に体力がなくなって、ご飯もほとんど食べられなくなりました。それでも、退院直前には「焼き肉を食べたい」と言っていて、私も病院食じゃなくて食べたいものなら少しは食べられるかなって思っていたんです。ただ、足腰も弱っていたし、流石にお店に行くような状態ではないなと思って、家で焼肉を用意していました。でも、いざ食べ始めてみると、たった1切れしか食べられなくて。それを見た時にものすごくショックでした。いままでとは違うんだなと感じました。顔には出さないように、普通に振る舞おうとして、彼も「今日は疲れているから」って言っていましたが、彼は私以上にショックを受けていたと思います。それから3月に入院するまでの3ヶ月間は、ずっと一緒にいました。家でゲームをしたり、病気とは関係ない普通の話をしたり。いま振り返ると、最後にゆっくり穏やかに過ごせた時間だから、とても大事なかけがえのない時間です。
香西:食べられるものや食べられる量の変化は、ご家族が病状の進行を実感しやすい場面ですね。当時の原田さんの病状を考えると、その3ヶ月間の間にも体調の変化や、やりたいことができないストレスがあり、そばにいる千里さんも心労を感じることもあったと思いますが、それでもいい時間を過ごせていたのは、お互いに思いやりや気遣いがあって、介護するひととされるひとの関係ではなく、支え合っていたからなんでしょうね。原田さんとは普段どんな話をしていたのですか?
千里さん:結構私が一方的に喋っていたのかもしれないです。彼はリアクションが普通じゃないので、それが面白かったんです。思った通りの返答が返ってくることなんて絶対ないんです。一緒にいて飽きないし、こういう考え方もあるんだなと刺激をもらいました。喧嘩はしょっちゅうしていました。大抵私が怒っているだけなんですけど。
香西:千里さんが聞き役なのかと思っていたので意外です。千里さんはいつも冷静だし、大人だから、喧嘩するのにも驚きました。
千里さん:彼は誰に対しても遠慮をしない、誰に対しても態度を変えないひとです。だからひとの懐にスッと入り込む「ひとたらし」と呼ばれていたのですが。病院の先生にもタメ口で、SNSの連絡先を聞いていました。そういうところが時々図々しく見えて、恥ずかしいと思って、私が注意するんですが、彼はなんで私が怒っているのかを全然理解してくれないんです。それで喧嘩になっていました。
香西:千里さんは年下だけど、姉さん女房のような存在だったのですね。原田さんは千里さんに叱られるのも楽しんでいそうですね。2人の掛け合いを見てみたかったです。
編集:児玉紘一
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2024年某月