体験談 2025.03.17
体験談vol.9 原田紘介さんの奥さん④

・患者さんの病名:肛門管がん
・患者さんの年齢:46歳(享年)
・闘病期間:発症から逝去まで3年2ヶ月
・訪問診療を受けた期間:11日
・家族構成:奥さんと2人暮らし
・インタビューに答えてくださる方:奥さんの千里さん(33歳、自営業)
・インタビューの時期:逝去から約4ヶ月後
葬儀と遺品について
香西:葬儀はどんなふうにされたのですか?
千里さん:直葬だったのですが、火葬まで数日あったのでそれまではお家にいて、毎日たくさんの方々が弔問にきてくださいました。私が訃報を伝えた方々がそれぞれいろんな方面に声をかけてくださって。来るたびに皆さん自分のチームのユニフォームを彼に着せたいって棺の中でどんどん上に重ねていって、蓋が閉まらない程でした。最後はどれを入れるかをジャンケンで決めたんです。入り切らなかったユニフォームはいまも私の家にあります。闘病中、サッカーボールに寄せ書きをしたものをたくさんいただいて、それも棺に入れてあげたかったのですが、サッカーボールは空気を抜かないと棺に入れることはできないって火葬場に行ってから知りました。だからサッカーボールは持ち帰って、それも私の家にたくさん置いてあります。
香西:斎場には空気抜きを置いておいて欲しいですね。私が訪問診療に行っている間にもユニフォームや寄せ書きをしたサッカーボールが日に日に増えて、最後には医療機器よりもサッカーグッズが目立つようになって部屋に溢れんばかりになって、たくさんの方から慕われているのがすごく伝わりました。
千里さん:ユニフォームもサッカーボールも一生捨てられないですね。今日は彼の遺品としてユニフォームを持って来たのですが、洗いたくないなと思ってスチームアイロンをかけてきました。
在宅介護中のことと、あったら良かったと思うもの
千里さん:一緒に闘病してきた3年間、いろんなことがあって、気持ちの浮き沈みもあって大変でしたが、最後の11日間が一番つらかったです。退院してすぐは少しは飲めていた水も数日で飲めなくなって、見るからに痩せ細って、目も閉じられなくなって。日に日に変わっていくのを間近で見ていて、どうしてあげることもできないことがこんなにもつらいことなんだと、お家に帰ってみて24時間そばにいて初めてわかりました。彼はもともとがエネルギーの塊のようなひとだから、尚更、そうでない姿が胸に刺さりました。たった11日間でも自分でもよく頑張れたなと思うくらい、精神的にも体力的にも過酷な期間でした。それでも、お家に連れて帰ってあげられたことには後悔はないし、誇りに思っています。これから何があっても、その時のことを考えたら乗り越えられると思います。それくらい、その11日間が私の支えになっています。彼が私のために頑張ってくれたから。
香西:私たちが訪問すると、いつも千里さんは元気で、テキパキと経過を報告してくれていたので、すごく頼りになるな、任せられるなと思ってしまっていましたが、千里さんに相当な負担をかけてしまっていたのですね。
千里さん:やっぱりひとりで看ている時間はずっと緊張していました。彼が急に勢いよく寝返りを打ったり、起きあがろうとしたりするから、その拍子にコードが抜けて医療機器が止まったらどうしようとか、自分がうたた寝していて気付かないうちに、呼吸が止まっているなどの取り返しのつかないことが起きてしまっていたらって。常に不安でした。先生や看護師さんが来てくれている時だけは唯一安心して、ほっとしていられました。
香西:病院のようにモニターがあって数値化された生体情報が見えた方が安心ですか?
千里さん:絶対その方がいいです。
香西:病院で使うモニターは医療者不在時に波形や数値判断ができないため、それをそのまま自宅に持ち込んで使用することはできないのですが、スマートウォッチなどを用いて心電図等の生体情報を医療機関に送るシステムは開発されています。遠隔医療が必要な僻地では導入されていると聞いたことはありますが、当院では導入していません。そもそも、モニターは患者さんの急変にいち早く気づくためのものですが、終末期医療において急変は必至であり、急変自体に対処するというよりも、必ず起こるその時に苦しくなく過ごせるようにするのが緩和ケアです。現代の医学では痛みや苦しさを客観的に数値化してモニター表示することはできませんから、苦しいかどうかはモニターではなく患者さん自身の自発的な訴えや表情や呼吸の仕方などから汲み取ることになります。だから、緩和ケア病棟でもモニターはつけない方針のところが多いです。そのほかにも、モニターをつけない理由としては、心電図や血圧計などを体に貼ったり巻いたりされることが患者さんにとって不快ということもありますし、モニターのアラーム音が鳴ると落ち着いて眠れないということもあります。私自身の考えとしては、モニターがあるとついそちらに目を向けてしまうと思うのですが、ご自宅で一緒に過ごすかけがえのない時間にはモニターよりも患者さんの顔を見てほしいです。とはいえ、死を間近で見たことのないご家族にとって、この呼吸が正常なのか、看護師さんを呼ぶべきなのか分からなくて不安になる気持ちもわかります。
千里さん:私はひとりで介護しなければならず、常に彼を見張っていられたわけではないので、ちょっと目を話した隙になにかあってもアラームが鳴ってくれたら安心だなって思いました。トイレに行ったりシャワーを浴びたりする時も不安でした。
香西:なるほど、ひとりで介護をするご家族にとっては、異変を知らせるアラームは需要がありますね。逆に点滴のポンプのアラームがすごくストレスだというお声を聞くこともあるのですが。ご家族が少しでも安心して在宅介護ができるよう、それぞれのご希望に合わせて選択できるように、色々な手段を用意しておくのは重要ですね。すぐには遠隔モニターの導入には至れませんが、今後の課題として頭に留めておきます。
千里さん:でも、彼は他にいっぱい管も付いていたし、これ以上つけるのも煩わしい、かわいそうだったかなと思うので、なくてもよかったかなとも思います。そういうふうにひとつひとつ、ああだったら、こうだったら、と考えてしまいます。
原田さんから受け継いだもの
千里さん:いま心がけていることは「迷ったら行動する」です。今回のインタビューも本来の自分なら受けなかったと思います。やりたいことがあってもネガティブに考えてしまいがちなんです。でも、彼はそんな私に「大丈夫だよ。やればできるよ。自信持ちなよ」といつも言ってくれていたから。彼のように前向きにいろんなことに取り組みたいなって思っています。そうしたら、彼も少しは安心してくれるかなって。
香西:原田さんの言葉が千里さんのなかで大きな原動力になっているのですね。
千里さん:彼だったらこうするかなと思いながら行動しています。彼の死を知ったチームメイトが彼を偲ぶ会をあちこちで開催してくれていて、人伝に私もお誘いいただいて、全く知らないひとばかりなのですが、彼だったらそんなの気にせず行くだろうなと思って、どんどん参加しています。そうしていたら、スケジュールがいっぱいになってしまって。彼のつながりがいまでも私を支えてくれています。ある方は、最近彼から連絡がないなと思い、サッカー協会に問い合わせてそこからさらに辿って辿って私に連絡をくださいました。
香西:虫の知らせなんでしょうね。長年会っていなくて、連絡が取れなかったら、それで関係が途絶える場合も多いでしょうに、そこまでして探してくれる仲間がいるってすごいですね。原田さんの周りにいる方も行動力がある方が多いんですね。
千里さん:サッカーを通してつらい経験を一緒に乗り越えてきたからこその連帯感なんでしょうね。すごい人望だし、愛されているひとでした。そういうひとだと知ってはいたけれど、亡くなってからも彼のすごさを感じています。
最後に
香西:私が原田さんに関われたのは11日間だけですが、原田さんのことがすごく胸に残っています。終末期のなかでも特に苦しい状態にありながらも、最期まで生きよう生きようとしていて、諦めない、ものすごいエネルギーが全身から溢れ出ている方でした。千里さんと同じように、私も何かもっとできることがあったんじゃないかって振り返ります。
千里さん:彼のことを忘れないでくれると嬉しいです。
香西:絶対忘れません。今日、千里さんから原田さんのいろんなエピソードを教えてもらって、私のなかの原田さんという存在に再び灯りが灯ったような気がします。また原田さんのことを教えて下さい。そして、気持ちはどんどん移り変わっていくものだと思いますので、千里さんのその時々のお気持ちも聞かせて下さい。また遺族会でもお会いできたら嬉しいです。ありがとうございました。
千里さん:ありがとうございました。まだつらいけれど、原田紘介のような強い人間になろうと思います。
編集:児玉紘一
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2024年某月