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体験談 2025.03.17

体験談vol.9 原田紘介さんの奥さん①

・患者さんの病名:肛門管がん
・患者さんの年齢:46歳(享年)
・闘病期間:発症から逝去まで3年2ヶ月
・訪問診療を受けた期間:11日
・家族構成:奥さんと2人暮らし
・インタビューに答えてくださる方:奥さんの千里さん(33歳、自営業)
・インタビューの時期:逝去から約4ヶ月後

原田さんは元サッカー選手で、現役を退いた後も社会人チームに所属し、サッカー中心の人生を歩んでいました。バーテンダーやタクシー運転手など多種多様な職業を渡り歩きましたが、原田さんはいつもたくさんのひとに囲まれていました。誰の懐にでもすっと入り込む原田さんのことを、友人やチームメイトは愛情を込めて「ひとたらし」と呼んでいました。

43歳の年の4月から血便があり、2ヶ月後に近くの病院で大腸カメラを受けたところ、肛門管がんと診断され、大きな病院へ行くよう勧められました。肛門管がんは、肛門から直腸までの3〜4cmのところにできるがんのことで、全悪性腫瘍の0.1%、大腸がんの中でも2%と極めて稀な疾患です。精査の結果、腹腔内リンパ節に転移しており、それによって両側の尿管が圧迫されて水腎症(尿が逆流して腎臓が腫れた状態)になっていることがわかりました。尿管ステントを入れ、化学療法(抗がん剤)と放射線治療を受けましたが、翌年の2月に尿管ステントが閉塞して感染を起こし、左腎ろう(背中から腎臓にカテーテルを通して、体の外に尿が排泄できるようにするもの)を造設しました。約1ヶ月後に退院した原田さんは、病気のことなど全く意に介さずサッカーに打ち込みました。それから約1年の間は病気の進行は落ち着いており、穏やかな時間が過ごせました。

45歳の年の5月にがんが浸潤して直腸に孔が開いてしまっていることがわかり、人工肛門(ストーマ)を造設しました。原田さんの体から腎ろうカテーテルと人工肛門の2つが外に出ている状態になり、化学療法も再開になりましたが、原田さんはごく親しいひとにだけ病気のことを告げて、それまで通りサッカーをしていたそうです。同年9月に骨盤内に新たな転移が出現し、10月に骨盤内臓全摘術(骨盤内にある臓器、直腸と膀胱、尿道、前立腺、精のうをすべて摘出する手術)を受けました。術後に体力が落ちて動くことがしんどくなり、それまでは退院したらすぐにサッカーを再開していた原田さんも、今回は体調の変化を実感していました。

46歳の年の3月に発熱で緊急入院しました。実は1月から炎症反応が高いことを指摘されていましたが、入院したくなかった原田さんはぎりぎりまで外来治療で耐えていたそうです。腹腔内感染に対して抗菌薬を投与したり、お腹の中を開いて洗浄したり、右腎にも腎ろうを造設したりと様々な治療を受けましたが、なかなか回復の兆しが見えませんでした。4月からは食べることが難しくなって栄養の点滴を開始しました。さらに、骨盤内で再び大きくなった腫瘍によって腸閉塞を発症し、イレウス管という鼻から腸まで届く管を入れて治療しました。5月末には肝臓や肺にも転移が見つかりました。内臓の大部分にがんが広がっていて、肺転移による息苦しさや、腹腔内腫瘍と腹水による腹部膨満感、胃腸が圧迫されることによる持続的な吐き気、感染と腫瘍による発熱など、さまざまな症状が原田さんを苦しめていました。主治医からは「これ以上がんの治療を続けることは難しい」と説明を受けました。それを聞いた原田さんは「早く家に帰りたい」と言い、奥さんの千里さんも原田さんを早く帰してあげたいと切望しました。原田さんの体には5本の管がついている状態で、寝返りもやっとの状態まで衰弱していました。主治医は千里さんに余命は数日であることを伝えました。

6月12日に自宅に退院した原田さんは、移動の疲れもあって寝返りを打つのも難しく、息苦しさと背部痛や腹痛のためにかなりの量の医療用麻薬を要する状態でした。うとうとしている時は表情が和らぎますが、覚醒してくると眉間に皺が寄り、そわそわと落ち着かなくなります。コーラを1口飲んではすぐに吐いたり、焦点の合わないぼんやりした状態で勢いよく起きあがろうとしたりするため、目が離せませんでした。

医療用麻薬を増量し、在宅酸素療法も開始しましたが、それでも苦痛が取れなかったため、6月14日から夜間のみ薬物による鎮静を開始しました。鎮静剤が効いて6月14日の夜は退院して初めてよく眠ることができました。6月15日から6月18日までの間は吐き気はほとんどなく過ごせました。毎日会社の同僚やサッカーのチームメイトなど、たくさんの方々がお見舞いの訪れ、原田さんはお話はできないものの、うっすら笑顔を見せたそうです。

6月19日からは呼びかけるとかろうじて目を開けるけれども視線は合わず、時々ビクッと体を一瞬震わせたり、顔をぐっと顰めたり、握り拳を作ってはパッと離したりするような動きが見られました。薬剤の副作用というよりは衰弱して自然な昏睡状態に近づいていると思われました。千里さんと相談して、原田さんが苦しくないよう、日中にも持続的に鎮静剤を使用することとしました。原田さんは自ら痛いと伝えることはできない状態でしたが、顔を顰めたり、身をよじるような動きがあったりしたら、随時追加の医療用麻薬を投与し、症状緩和に努めました。かなりの量の医療用麻薬や鎮静剤を持ってしても原田さんの苦痛を取り切ることは難しい状況でしたが、それでも原田さんはずっと懸命に生きよう、生きようとしているように見えました。退院から11日目の6月22日、千里さんが必死に看病するなか、原田さんは静かに旅立ちました。

 

編集:児玉紘一
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2024年某月

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