第4回おむすびの会(遺族会)開催後記

2025年12月18日に第4回おむすびの会を開催しました。3回目からまた半年以上空けての開催になってしまいましたが、今回は参加者全員が何度か参加いただいている方々だったこともあり、私の緊張をよそに始終朗らかな雰囲気でした。参加者同士のやり取りに胸が暖かくなりました。
ひとの奥行きの深さには驚かされます。生きている方も、亡くなっている方もそうですが、ひとにはみんな多面性があって、いろんな一面を教えてもらえることを嬉しく思います。みなさんの語られる物語の中で、新たな一面を知れること、過去といまが繋がる瞬間に立ち会えること、それは本当に貴重で、ありがたい経験です。第4回おむすびの会で語られた内容について、回想録を作成しました。
※録音ではなく、私の記憶を頼りに、ご遺族が語られた内容を記しています。
※遺族会で語られたことは持ち帰らずその場に置いていくのが原則ですが、その場で出たお話がこれを読む方の心にも届くのではないかと思い、ご出席いただいた方にご了承いただいて、公開させていただいています。
参加者数:3名 時間:18時〜19時20分
集まった参加者の共通点は「大切なひとを亡くした」ということ。でも、それぞれ全く違う人生を歩んできた。大切なひととの関係性も違うし、大切なひとを失ってからの期間も違う。気持ちの変遷も全く違う。何年経っても全くかなしみが癒えないひともいるし、すでに気持ちの整理ができつつあるひともいる。だけどここに集まってきたのは、仲間に聴いてほしい、仲間と過ごしたいという思いがあるから。
全く同じ経験をしているわけではないから、自分の発言が他のひとに否定されてしまうのではないか。自分が他のひとの何気ない言葉に傷ついたことがあるから、自分がこの場で話すことが他のひとを傷つけてしまったらどうしよう。そんなふうに不安になって口を閉ざしそうになってしまう。だけど、大切なひとを亡くすという経験をしたひとにしかわからないものがある。みんなどんな話も絶対に受け止めてくれる。どんな選択や考えも否定したり、評価したりすることはない。
クリスマス
クリスマスに限らず、私たち夫婦はイベント事は一切祝ったことがない。誕生日も結婚記念日も。クリスマスにケーキを買ってきたこともない。なんでもない日に買ってきたケーキは「こんなにまずいものを買ってきて。あそこのお店の方が美味しいのに」と亡き女房に散々文句を言われた。だから、通りがかりの店で美味しそうだと思っても、女房指定の店じゃなければ買わなかった。誕生日だとわかっていても、当日はおめでとうなんて言わず、翌日になって「ああ、そういえば」なんて言っていた。夫婦生活40年弱も経てば、祝わないことが私たちにとっての当たり前だ。
夫の誕生日は12月21日で、クリスマスは夫の仕事の繁忙日だから、誕生日とクリスマスを兼ねて毎年12月21日にお祝いをしていた。夫はお菓子作りが得意で、自分の誕生日ケーキも毎年自分で作っていた。クリスマス当日は翌朝に帰ってくる夫を待つか、姉たちと過ごしていた。今年も、姉たちが一緒に過ごそうと言ってくれている。夫の作るケーキの味が懐かしい。
以前はクリスマスが好きだった。でも、夫は1月に亡くなったから、ちょうどクリスマスの時期はどんどん状態が悪くなって、とてもつらい時期だった。毎年クリスマスソングが流れたり、街にイルミネーションが灯ったりして、みんなが浮き足立ってくると、その時のことが想起されたり、自分がいまひとりだっていうことを強く感じてしまったりして、気落ちする。
パートナーの服
私と夫は身長が同じくらいだったから、夫に衣服のプレゼントを買うときは、私が着たいものを買っていた。夫が好みじゃないと言ったら私が着るし、夫が気に入ったら時々勝手に借りていた。いまでも夫の服を着ることもあるけれど、晩年の夫はすごく痩せてしまって服のサイズが小さくなっていたので、私が着られない服は甥っ子に譲った。夫の服を着ると、その服を着て一緒に行った場所のことを思い出す。
今日は寒いから女房のダウンを着てきた。女房は体がガッチリしていたから、私が着てもピッタリだ。身長はそんなに変わらなかったけれど、足は女房の方が長かったから、女房のジーパンは裾を折って履いている。女房の身につけていたものをつけると、なんだか一緒にいてくれるような気がして悪くない。着ないと、女房に勿体無いとか言われそうだしね。
納棺の時に夫の気に入っていたサッカーユニフォームは一緒に入れたし、引越しの際にもたくさん処分したけれど、夫の服はちょっとだけ手元に残している。体格差があったから、夫の服を外に着ていくことはできないけれど、家の中で薄手の羽織りを着ることはある。それがあれば暖房が要らないくらい暖かい。
思い出との距離感
当時は日常だった物事が、いまになってかけがえのない思い出として湧き上がってくる。身につけていたものや写真、匂いや音など、さまざまなものが、ふとしたときに思い出を誘う。普段はそこまで考えないようにしているけれど、一度思い出の扉が開くと溢れてきて、胸の奥がぎゅーっとなることもある。以前夫と住んでいた街に用があって2、3ヶ月に1回くらい行く。少し足を伸ばしてかつて住んでいた家を外から眺めてみることもある。あの頃に戻りたいのかどうか、私にはわからない。ここにまた住みたいかというと、いろいろ思い出し過ぎてしまって、つらいような気もする。
妻はあちこちにいろんなものを仕舞い込む癖があって、最近、変なところに挟まっていた妻の若い頃の写真を見つけた。いまは、ぶすっとした表情のマイナンバーカードの証明写真が遺影だけど、こっちに替えようかなと迷って、面倒臭いからやめた。ふたりとも写真が嫌いだったから、ふたりで写真を撮ったことは終ぞなく、出てくるはずもない。
海外旅行の話が出て、彼と行った新婚旅行を思い出した。新婚旅行はオーストラリアだった。行きの飛行機はものすごく揺れて、機内食のジュースが飛んでいくくらいだった。ものすごく怖がる私の横で、夫はずっと眠っていた。そう見せかけて怖くて目をつぶっていただけかもしれない。「眠っていた」と彼は言い張るけれど、あんな中で眠っていられるはずはない。現地に到着したら、検疫のために殺虫剤を機内で振り掛けられた。よれよれになった私を現地のハイカロリーな食事が胃を叩きのめし、病院に行く羽目になった。そんなでも、オーストラリアの景色は綺麗だったから、思い出の上書きのためにいつかまた行きたいねと話していた。
あのひとの夢
もうすぐ妻の三回忌。そんな頃になってやっと妻が夢に出てきた。夢の中で「伊勢神宮に連れてってくれ」なんて言い出した。初めて夢に出てきたと思ったら、そんなことを言い出すものだから、翌日に車を飛ばして12時間かけて行ってきた。外宮は5時から開いているから、日の出前の真っ暗な中お参りをして、蜻蛉返りをした。帰りも8時間かかった。私がわがままを聞いたから、妻は満足しているのだろう。それっきりまた出てこない。
夢の中の夫はすごくリアルだ。実際にあった出来事ではないけれど、ありそうな場面で、言いそうなことを言う。以前は悲しい夢が多かったけれど、最近はいい夢も多い。起きたときにはちょっとほっこりする。毎日だとありがたみがないから、たまに出てきてくれると嬉しい。
私もきっと夫の夢を見ているのだろうと思うけれど、もともと朝になったら夢の内容はすっかり忘れているタイプだから、全く記憶にない。昨晩も出てきたような、なんだか意味のない他愛のない夢を見たような気もするのだけれど。出てきてくれて、あそこに行きたいなどと言ってくれたら、それも嬉しいけれど。起きたときに寂しい感じもしないから、きっと知らない間に夢の中で一緒にいるんだろう。
墓参りと遺骨
毎日仏壇にお供えをしてお線香をあげて、月命日には必ずお墓参りに行っている。来年の2月で三回忌だから、その時に住職さんに月命日のお参りはいつまでやるものか聞いてみようと思う。行きたくないわけじゃない。でも、義務感で行くもんでもないでしょ。三回忌の次は七回忌だから、一区切りついて少し肩の荷が降りる気がする。もう自分も80歳になるし、これから先、行けないこともあるかもしれないもんね。
夫が亡くなる1、2ヶ月前に「どうする?お墓」と意を決して聞いた。できるだけ、なんでもないような口調で。彼の地元は遠方で、私たちには子どもがいないからお墓を継ぐひとがいない。「私は自分が亡くなったら愛犬の骨と一緒に散骨してもらおうと思っている」と伝えると、彼は一緒に散骨してほしいと言い出した。でも、私が亡くなるまでどのくらいかわからないのに、それまでずっと彼の遺骨を家に置いておくのもちょっとなぁと思った。彼が「墓参りに頻繁に来てくれないと嫌だ」と言うから、結局、家の近くのお寺の、ペットも一緒に入れる樹木葬のお墓を選んだ。お墓参りに行かないと「なんで来ないの?」って言い出しそうだから、行けるときには行っている。もうすぐ彼がいなくなって5年になる。
夫が亡くなって1年6ヶ月になる。夫の遺骨と、最近亡くなった母の遺骨は、私の家に置いてある。先日、姉と沖縄に行き、少しだけ散骨してきた。法律を調べると、極小さく砕いて人骨だとわからなければ個人で散骨してもいいとわかり、姉とふたりで夫と母の骨を少しだけ砕いて、小瓶に入れた。夫の骨は母のと違ってとっても硬かった。荷物検査があったら怪しまれるとヒヤヒヤしながら飛行機に持ち込んだ。夫はサッカーの遠征であちこち周っているが、沖縄だけは行ったことがなかったらしい。前々から「沖縄に行って日本列島を制覇したい」と言っていたから、念願の沖縄だった。沖縄で散骨をして、いままでと少し違う気持ちになった。こういうふうに、夫や母が行きたかったところを旅して、少しずつ散骨するのもいいかもしれないと思った。
指輪
夫の遺骨で遺骨リングを作った。指輪の内側に溝があり、そこに遺骨が入っている。出かけるときにはいつもその指輪をしている。もう着けているのが当たり前になっているから、ずっとその存在を感じているわけではないけれど、彼と私を繋ぐものを作ってよかったと思う。
うちのやつが着けていた指輪を着けて出かけていたら、女房の方が指が太かったからすこんと抜けてしまって、どこかで無くしてしまった。後から旅先のホテルで見つかってよかったけれど、また無くすのが嫌だから指に嵌めるのはやめた。いまは車のアシストグリップにぶら下げている。女房が使っていた胃瘻のチューブを洗って、それに指輪を通し、グリップに括り付けた。変なお守りだが、一緒にあちこち連れて行ったほうが、女房も嬉しいだろうし、これなら盗るひともいなさそうだしね。
来年の抱負
今年も妻の写真と遺骨を連れてあちこち回ったけれど、来年80歳になるまでに、もうちょっと周ろうかなと思っている。体力的にいつ行けなくなるか、わからないもんね。いまの愛車は15年も乗っていて、11万キロも走っているから、車のほうが先にダメになるかもしれない。自分も車も先のことはわからないから、行けるうちに行かないとね。
あちこち彼と一緒に旅して、散骨して回るという新しい楽しみができた。どこに行ってどんなふうに撒いたかを伝えるのも楽しみだ。私が元気でいないと彼が心配してしまうから、明日も元気でいるように、体調を整えていかないとなと思う。
夫が亡くなって3年経って、グリーフケアの勉強を始めた。自分と同じように苦しむひとの支えになりたくて。たくさん勉強して、来年からはいよいよ実践に移そうと思っている。どこまでできるんだろうと不安もあるけれど、これから挑戦できることにわくわくもしている。
ここに綴ったのは、語られた思いを私が受け取って、私なりの解釈をしたものです。ひとの気持ちのすべてを正確に理解することはできません。同じ言葉でも少し置き換えただけで、あるいは声のトーンを変えただけで、全く違うものになってしまいます。誰が話すかも重要です。それでも、おむすびの会の雰囲気を少しでも留めておきたいと思い、記しました。
当院では遺族訪問もおむすびの会(遺族会)も行っていますが、それは似て非なるものだなと感じます。おむすびの会では、誰かの物語が呼び水となって、他の方の物語が引き出されていきます。ときにそれは、つらい、苦しい記憶や感情のこともあるけれど、その場に出してもいいと思えたら、そっと置いていっていただくのが、いいかなぁと思います。おむすびの具は大体なんでも合います。おむすびを結ぶように、優しく、愛情を込めて、自分自身のことを包んでください。
おむすびの会の間、私たちも、亡くなった方々も、おむすびの会の間、「確かに生きている」と感じられる時間でした。