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2025.03.17

第2回おむすびの会(遺族会)開催後記

前回のおむすびの会から半年も期間が開いてしまいましたが、2025年2月20日に第2回おむすびの会を開催しました。第1回の時には、参加者のみなさんの語る思い出やお気持ちが織り重なって、ひとつの大きな物語になっていくような感覚を味わいました。今回は前回と同じように一体感を感じつつも、いろんな味の詰まったドロップ缶のように、一粒一粒に違いがあることに気付かされ、同じでないからこその良さを実感しました。第2回おむすびの会で語られた内容について、回想録を作成しました。

※録音ではなく、私の記憶を頼りに、ご遺族の語られた内容を記しています。
※遺族会で語られたことは持ち帰らずその場に置いていくのが原則ですが、その場で出たお話がこれを読む方の心にも届くのではないかと思い、ご出席いただいた方にご了承いただいて、公開させていただきます。

参加者数:4名 時間:18時〜19時30分


 
集まった参加者の共通点は「大切なひとを亡くした」ということ。でも、それぞれ全く違う人生を歩んできた。大切なひととの関係性も違うし、大切なひとを失ってからの期間も違う。気持ちの変遷も全く違う。何年経っても全くかなしみが癒えないひともいるし、すでに気持ちの整理ができつつあるひともいる。だけどここに集まってきたのは、仲間に聴いてほしい、仲間と過ごしたいという思いがあるから。

全く同じ経験をしているわけではないから、自分の発言が他のひとに否定されてしまうのではないか。自分が他のひとの何気ない言葉に傷ついたことがあるから、自分がこの場で話すことが他のひとを傷つけてしまったらどうしよう。そんなふうに不安になって口を閉ざしそうになってしまう。だけど、大切なひとを亡くすという経験をしたひとにしかわからないものがある。みんなどんな話も絶対に受け止めてくれる。どんな選択や考えも否定したり、評価したりすることはない。
 

バレンタインデー

夫はバレンタインデーに職場からたくさんのチョコレートを貰ってきた。全部義理チョコなのだろうけれど、そのなかに高級そうなブルガリのチョコレートがあった。たった一粒だからこそ目を引いた。半分ちょうだいと言ったら、夫はキラキラした包み紙を開き、あーんと私に差し出した。そして、口を開けた私を笑い、パクッと全部食べてしまった。

実は、義理チョコをという文化を生み出したのは以前私が勤めていた百貨店だ。チョコレート屋とコラボして、「義理」と書いたチョコを販売したら大流行りした。懐かしい思い出だ。それもあって、当時は職場ですごくたくさんの義理チョコをもらっていた。妻は、私が持ち帰ったチョコを喜んで食べていたように思う。美味しいものが好きな妻だったから。だけど、妻からはチョコを貰った記憶がない。本命のはずなのに。我が家はいい夫婦の日には12本のバラ、家族の誕生日には都内のホテルで宿泊と、イベントを大切に過ごしてきたし、娘からはもらった記憶があるのだけど、どうしてだろう。思い返すと、妻は凛としてはいるけれど、嫉妬深いところもあったような気がする。もしかしたら、妻はそんな素振りは一切見せなかったけれど、義理チョコにも嫉妬していたのかもしれない。どう思っていたのか、妻に聞けたらいいのに。

私たちには誕生日も記念日も祝う習慣がなかった。あえて祝わないことにしていて、そういう日もいつも通りの1日を過ごした。当然、バレンタインデーに妻からチョコをもらったことなどない。母の十三回忌も1年前から準備する几帳面な妻だったから、記念日を忘れているはずがない。その日が何の日であるか、私たちはふたりともわかっていた。それでも、あえて普通の日を送ることに意味があった。

彼はバレンタインデーには毎年チョコレートケーキを作ってくれた。彼の作るケーキは私が作るよりも美味しくて、私は出来上がるのをお酒を飲みながら待っていた。こだわりの強い彼だから、手伝おうとすると邪魔だと追い払われた。そういえば、彼が作ってくれるようになったのにはきっかけがあった。ある年のバレンタインに、私はチョコを準備して彼の帰りを待ち構えていたのに、彼は職場で別の女の子からチョコを貰ってきた。コンビニのチョコだし、義理チョコだってわかっている。だけど、私はものすごく嫉妬して拗ねた。それからだ、彼が作ってくれるようになったのは。私に笑顔でいてほしいから美味しいものを食べさせたいと、彼は言ってくれた。優しいひとだった。
 

散歩

最近、早朝の散歩を日課にしている。きっかり同じ時間に家を出ると、同じ場所で同じメンツに出会う。6時35分に一緒にエレベーターに乗り込むサラリーマン、仲睦まじい中年の夫婦、道ですれ違う制服姿の女子高生、なんでこんなところでと思う場所でタバコを吸っているおじさん。無意識のうちに、すれ違うひとを観察している。言葉を交わしたことはないけれど、互いを認識していると思う。心の中でおはようと挨拶する。しばらく見かけないと、あのひとは元気だろうかと心配になる。2月は空気が澄み渡っていて、朝日が眩しく輝いている。空の広さに驚く。

ひとりで散歩をしていると、ふたりの時には気づかなかった景色に目がいく。こんなに寒いけれど、もう木々の枝には蕾がついている。道端に生えたなんでもない草花が綺麗な色をしている。あのひとがいたらきっとこう言うだろうと想像しながら歩く。ひとりでいるのはやっぱりさみしい。あのひとがいてくれたらと思う。だけど、あのひとが歩けない分、私があのひとを背負って、一緒に歩いているんだと思うようにしている。私はひとりじゃない。

毎日散歩に行けること、歩こうと思えば2時間でも歩けてしまうこと、自分が健康であることに本当に感謝している。2月の荒川の堤防は風が吹き荒んでいて、とても歩けたものではない。だから散歩ルートを変えてみたら、幼稚園児の集団に出くわした。子どもが好きかと言ったらそうでもない。だから作らなかったんだろう。でも、思い思いに喚いている無邪気なちびっこたちの姿を見たら、自然と頬が緩む。
 

大切なひととの向き合い方

娘たちと妻と私の4人のグループチャットがある。妻の携帯はいつもテレビの横に置いていて、私は1週間に1回くらい妻の携帯を開き、SNSにログインしてグループチャットを既読にする。私はそれを1年以上も続けている。娘たちは初め、妻の既読がついたことにとても驚いていた。別に、娘たちを驚かせようと思ってしたわけではない。自分がどうしてそうするのかわからないけれど、もうそれが習慣化してしまっている。私の携帯のトップ画像は妻の若い頃の写真。妻のいない日々を受けいれているつもりだけれど、まだ妻の写ったアルバムや妻とのSNSのやり取りを見返すことはできない。胸が苦しくなってしまう。

四十九日で納骨して一区切りついたように感じた。それまでグッと上がっていた肩の緊張が少し取れて、ちょっと楽になってもいいような気がした。毎日お線香をあげて、仏壇にご飯やお水をお供えする。それだけは欠かさない。だけど、以前は出かける時には必ず遺影を持ち歩いていたのに、ふとそれを忘れたり、今日はいいかと思う日がある。大切なひとはずっと胸にいるけれど、何かをしなければいけないという義務はない。月命日にも特別なことをしてもいいし、普通の日を過ごしてもいい。

以前、年配のひとから「納骨して供養しないと」と言われて、鬱陶しい気持ちになった。8ヶ月たったいまも、遺骨は部屋に置いてある。そこに置いておくという強い意志でそうしているのではなく、どうしたいかを考えるだけの元気がないのだと思う。何年かしたら気持ちの整理がつくのだろうか。今日の遺族会で先輩たちが遺骨をどうするのも自由だと言ってくれた。最近の仏壇は下に遺骨をしまう場所が用意されているものもあり、納骨の時期が自由な仏教宗派も多いらしい。どうしなければいけないというルールに縛られる必要はなく、遺されたひとが自分の気持ちに従って、そばに置いておいても、納骨しても、散骨を選んでも良いのだと。

8ヶ月「も」、あるいは、8ヶ月「しか」。月命日や四十九日、何回忌は遺されたひとが気持ちの整理をつけるために設けられたものかもしれない。だけど、そういう日に何かをするのにも勇気がいる。命日と考えるだけで、ブワッといろんな彼の姿が思い出されて、苦しくなる。楽しい思い出もすっごくたくさんあるはずなのに、それと一緒に、最期の時の痩せてしんどそうだった姿が浮かぶ。後悔もたくさんある。思い出さなくても常に彼のことが頭にあって、他のことを考えて締め出さないと苦しくてどうしようもなくなる時がある。

彼が亡くなって4年が過ぎた。最期は家で看取ってあげたかったけれど、どんどん変化していく状態についていけなくて、苦しさが取れなくて、緩和ケア病棟で最期の数日を過ごした。どうしてあげるべきだろうと、当時も、その後も、何度も何度も悩んで、たくさん後悔した。いまでも同じことを考えるけれど、どうしてもそうせざるを得なかったのだと、気持ちに折り合いをつけた。彼を失ったかなしみは一生なくならないと思う。だけど、そんなにかなしめるくらいの、最愛の、大切なひとと出会えたことは本当にありがたいことだと思う。
 

あした

孫が誕生し、新しい家族ができたことで気持ちが前向きになる。知人の78歳の男性は2年前に最愛の妻を亡くしたが、最近これからの時間を一緒に過ごしてくれるひとを探し始めたらしい。自分はまだそんな気持ちにはなれないけれど、先人たちのそういう話を聞くのは悪くない。まわりがそうやって動いているから、時間が、人生が進んでいるのを感じる。1年以上手をつけていなかった妻のクローゼットを片付けてみようかという気持ちが起きる。

あのひと宛の郵便物が届くだけで、心がぎゅっと締め付けられるような気持ちになる。時間が解決してくれるとは聞くけれど、本当にそうなんだろうか。いまのところ、どんどん楽になるということはなくて、むしろ、少ししてからのほうが彼の不在を実感して、それからは気持ちが上がったり下がったり。日々違うことを思う。このひとになら話せるんじゃないかと思って口を開いてみたら、途端に思いが込み上げてきて、涙が止まらなくなった。

一緒に行った旅行先を巡って、ふたりで見た景色をひとりで見る。ひとりは気楽でいいと思う時もあれば、隣にいてくれたらという気持ちがよぎることもある。ここでこんなことを言っていたなと妻の言葉が浮かぶ。さみしくなんかない。ひとりで食ったって、美味いものは美味いし、綺麗なものは綺麗だ。ただ、ふたりで行ったことのない場所にはまだ行っていない。思い出のある場所ばっかり選んでいる。行ったことのあるところの方が道がわかるってのもあるし、いいところは散々あちこち行ってしまっているから。まぁ、ふたりで見たことのない景色をひとりで見るっていうのもなんだかね。

夫との共通の友人のご夫婦と、来週数年ぶりに一緒に旅行することになった。雪山に登山に行く予定だ。彼が闘病中に飼おうと言って飼い始めた犬を連れて。犬は雪の上は絶対に歩かないから、もしかしたら私が背負って登ることになるかもしれない。中型犬で10kg以上もあるから大変だ。甘えた犬の姿が容易に想像できる。そう思いながらも、ワクワクしている。久々に会うひと達は元気だろうか。どんな話をしようか。

 


 

ここに綴ったのは、語られた思いを私が受け取って、私なりの解釈をしたものです。ひとの気持ちのすべてを正確に理解することはできません。同じ言葉でも少し置き換えただけで、あるいは声のトーンを変えただけで、全く違うものになってしまいます。誰が話すかも重要です。それでも、おむすびの会の雰囲気を少しでも留めておきたいと思い、記しました。

2024年の1年間に当院で70人くらいの患者さんを見送りました。私にとっては、誰かの死に際に接することが日常です。ですが、患者さんの看取りを「捌く」とか「こなす」ようなことは絶対にしたくないと思っています。患者さんとの関わりを看取りまでで終わりにしていたら、自分の中でそこが終着点になってしまうかもしれないと怖くなります。そうはなりたくないです。自分のなかでどの患者さんも生き続けているから。患者さんがいなくなっても、その患者さんのご家族の人生はずっと続いていくから。ご家族のその後の人生に関わらせてほしい。一緒に物語を歩ませてほしいと思っています。

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