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2026.05.12

第5回おむすびの会(遺族会)開催後記

2026年4月16日に第5回おむすびの会を開催しました。今回はこれまでに参加歴のあるおふたりが来てくださいました。会わない間のことや最近感じていることをありのまま語っていただいて、参加者を通して故人の魂に火が灯るような、温かく優しい時間でした。

死してなお、関係性が続いていること。
思いは消えることなく、ずっと共に生きていくものであること。
そして、ひとの生きる力のなんと強いことか。

第5回おむすびの会で語られた内容について、回想録を作成しました。

※私の記憶を頼りに、語られた内容を再構成しています。
※遺族会で語られたことは持ち帰らずその場に置いていくのが原則ですが、その場で出たお話がこれを読む方の心にも届くのではないかと思い、ご出席いただいた方にご了承いただいて、公開させていただいています。

参加者数:2名 時間:18時〜19時15分


集まった参加者の共通点は「大切なひとを亡くした」ということ。でも、大切なひととの関係性も、失ってからの時間も、気持ちの変遷も、それぞれ全く違う。だからこそ、自分の言葉が誰かを傷つけてしまわないか、不安になることもある。それでも、この場ではどんな思いも否定したり、評価したりせず、ただ受け止め合うことを大切にしている。

 

年を重ねながら

今年で80歳になる。めでたくなんかない。中身も外身もあちこちガタが来ている。数年ぶりに歯医者に行ったら歯石がわんさか溜まっていると言われて1時間半もみっちり掃除をされた。目も見えにくいから、眼科にも行かないといけない。女房と住んだ家だって年寄りだ。蛇口が壊れて水がポタポタ垂れて止まらなくなったり、エアコンが効かなくなったり。まぁ、なんとかやりくりして、やってくしかないんだよね。

 

この年だからわかること

定年退職後に始めた会社はコロナの煽りを喰らって開店休業状態で、今はもっぱらボランティアに勤しんでいる。区が運営する高齢者向けのパソコン教室に10年通っていたら、教える側になり、高齢者スマホ教室の先生をやっている。参加者たちは、iPhone教室なのにアンドロイドを持ってきたり、先週やったことを初めて聞いたような顔できょとんと聞いている。でも、自分も同じような高齢者だから、何度も教えることが何の苦にもならない。高齢者の先生ならではの良さもあると思う。

 

あれから3年

妹が亡くなってもうすぐ3年になる。今でも週1回は妹のマンションに行って、ポストのチラシを回収し、空気を入れ替え、そこで仕事して数時間を過ごす。妹の家はものすごくたくさんの本があって、まるで図書館のようだ。いまだに一冊も処分できていない。私は普段は仕事を残さない方で、ほかのことは進められるんだけど、妹のことになると途端に手が、心が、止まる。生命保険も請求が完了していない。毎日妹のことを考える。落ち着いたといえば、落ち着いているけれど、妹のことを想うと急に元気じゃなくなる。

 

三回忌を終えて

先日三回忌を終えて、住職さんに「これからどうしたらいいですか」って聞いた。そうしたら「今まで通りに仏壇にお茶あげて、話しかけて、月命日にはお墓参りに来て」って言われた。三回忌が一区切りだと思っていたから次の目標を失いかけていたのだけど、その言葉でなんだ、続けていいのかとホッとしつつも、まだやるのかと思うような、変な気持ちになった。三回忌が来たらもっと楽になるかと思っていた。でも、そこにあるのはこれまでと同じ、女房のいない静かな日常だった。女房は毎月あれとこれとやらなきゃダメとたくさん指示して逝った。その通りにやらないとあとで叱られそうだ。

 

妹の日記の中の「J」

遺品整理をしていたら妹のパソコンを見つけた。開いてみたら「入院日記」なるものが出てきて、病気が見つかった時のことから亡くなる10日前までほとんど欠かさず毎日記されていた。「明日は朝イチで病院受診だけど、満員電車で行くのはつらいから近隣のホテルに前泊した」とか。「疲れてご飯を作る気にもなれない時に会社の同僚が作りにきてくれた」とか。経過や症状に関しては詳細だが、不安だとか誰にも打ち明けられない悩みみたいなのは全然出てこない。妹らしいな。「J」というイニシャルの人物が出てきて、どうやらそれは僕のことのようだった。「J」が来てどうのこうのと、僕のことが妹の言葉で書かれていた。3年も経って、いまになって。

 

助手席に遺影を乗せて

そのうち運転もできなくなっていけなくなるだろうから、今のうちと言いながらあちこち車で出かけている。女房と行った場所も、初めていく場所もある。奈良公園の裏山が桜の隠れ名所だと聞いて、車を走らせた。ドライブウェイは対向車が来たら困るような狭い、塗装もされていない山道だった。とんでもない悪路だが、確かにゆっくり下りながら見る山一面の桜は見事なものだった。助手席にいつも通り座っている女房の遺影もこれなら満足しそうだった。

 

仕事に生きたひと

がんと告知されてすぐの頃、妹は主治医から「仕事は辞めないでくださいね。続けながら治療できますから、仕事を辞めて治療に専念なんて思わないでくださいね」と言われた。本人はハナからその気だったが、そう言ってもらって本当に良かったと思う。先生はみんなにそう言ってるんじゃなくて、妹の性格を読んでいたんだろう。妹は仕事人間で、抗がん剤をやって退院する日でさえ、僕は妹に言われるがまま、妹を職場に送り届けた。仕事が妹の支えなのがわかっていたから、僕も止めなかったし、好きにやらせて良かったと思っている。病気がわかってすぐの余命宣告よりは、ずいぶん長く生きられた。その間、妹はほとんど弱音を吐かなかったし、「どうして私が」みたいなセリフも聞いたこともない。淡々と、でも猛烈に仕事と治療に励んでいた。
三浦しをんの「舟を編む」という小説は辞書を作る人達の物語だが、妹のやっていた編集の仕事はまさにそういう世界らしい。残業の定義も曖昧になりがちな厳しい世界で、一冊の本を作るために、たくさんのひとが身を削るように働いている。ドラマなんてない、地味な作業の連続で、他人から見たらここまで熱中できるのかと驚くが、中のひとにしかわからないおもしろさがあるんだろう。妹の人生に、仕事があってよかったと思う。もちろん、誰にとっても仕事を続けることが正解というわけではない。でも、妹にとっては仕事が大きな支えだった。

 

女房の携帯

女房の携帯電話はいまだに解約していない。だって、解約しようとしたら死亡診断書をもってこいだのなんだのと、面倒なんだもの。名義変更や解約の際には何かにつけて死亡診断書が必要で、いくつコピーしたかわからないくらいだ。人間ひとり死んだら、こんなにやることがあるなんて、遺された方も年寄りだってのに、無茶言うもんだ。
もちろん、女房の携帯には誰からも連絡が来るわけでもない。でも、しょうがないから、2台持ち歩いている。

 

あのひとを思い出させるもの

子どもの頃、妹とふたりで白土三平の忍者漫画に夢中になった。古いシリーズは本屋にはなかなか置いていなくて、近所の貸本屋で、まだ読んでいない単行本がないか探した。目当てのものがあると売ってくれと交渉して少しずつ揃えていた。今、妹の本棚にはそのシリーズが全巻並んでいる。初版やプレミア本まで、こんなにも、いつの間に集めたのか。
その漫画の中には面白い言い回しがいくつもあり、ふたりの会話の中で時々使って、「それ、32巻のやつだ」というようなやりとりを大人になってもやっていた。そのノリで話せる相手はもういない。

 


 

ここに綴ったのは、語られた思いを私が受け取って、私なりの解釈をしたものです。ひとの気持ちのすべてを正確に理解することはできません。同じ言葉でも少し置き換えただけで、あるいは声のトーンを変えただけで、全く違うものになってしまいます。それでも、おむすびの会の雰囲気を少しでも留めておきたいと思い、記しました。

2026年3月に臨床心理士、臨床傾聴士がむすび在宅クリニックに加わり、強いグリーフを抱えている方や、1対1でゆっくり話を聴いてほしいご家族・ご遺族のもとへ訪問する機会も増えました。心理士や傾聴士からの報告を聞いていると、私では聞き出せなかった言葉や、私の知らなかった患者さんやご家族の一面に触れることがあります。ひとは水のように絶えず変化し、ひとつの言葉やひとつの場面だけでは捉えきれない、不思議で奥行きのある存在なのだと感じます。この広い世界で巡り会い、ほんの一瞬でも時間を共有し、心を通わせることができたことを、本当にありがたく思います。

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