体験談 2026.01.21
体験談vol.30 白木順子さん本人

・患者さんの病名:乳がん、子宮頚がん、放射線性慢性膀胱炎
・患者さんの年齢:76歳
・訪問診療を受けている期間:6ヶ月
・家族構成:独居、都内に次女さん在住
・インタビューに答えてくださる方:順子さん本人
・インタビューの時期:訪問診療開始から6ヶ月後

白木順子さんは関西弁の似合う、話題の絶えないユーモアのある方です。67歳の時に乳がんを発症して手術を受け、化学療法を続けていましたが、74歳の時に新たな病気が見つかりました。
74歳の健康診断で顕微鏡的血尿1を指摘され、精査の結果、子宮頚がん、右尿管・膀胱粘膜浸潤と診断されました。右尿管ステントを留置し、原発巣に対して放射線治療を受けました。放射線治療終了から約4ヶ月後の翌年3月に左胸膜播種、肺転移が出現し、5月から化学療法を開始しました。しかし、9月に血尿と急激な貧血の進行があり、緊急入院となりました。輸血と膀胱洗浄2を行われ、出血の原因は放射線治療の副作用で膀胱に慢性的な炎症が起きていることだとわかりました。出血を繰り返し、11月下旬には血の塊で尿道が閉塞して排尿できなくなって膀胱留置カテーテルを挿入し、止血目的の高圧酸素療法を受けました。
その後も血尿や急な状態変化が予想されたことから、外来通院と訪問診療を併用する方針となり、76歳の年の5月より当院からの訪問診療を開始しました。高圧酸素療法の効果で血尿が止まり、6月に膀胱留置カテーテルを抜去しましたが、8月中旬から血尿が再燃し、止血剤を用いていても徐々に悪化してきています。病院での検査では、出血の原因としては慢性膀胱炎しか見つからず、輸血を受けながら経過観察しています。
また、特にぶつけたりはしていないのに、9月から左側胸部痛や左肩甲骨痛、左上腕痛を自覚するようになり、10月下旬のCT検査で左肺尖部胸膜、左第2、9肋骨に転移を認め、11月から化学療法を再開しました。
日々状態が変わっており、血尿も続いている状況ですが、順子さんはおひとり暮らしを続けており、「体重を維持するためにも頑張って食べないと」と意気込みを見せてくれます。がんとともに生きる順子さんにご自身の人生についてインタビューさせていただきました。
1肉眼で見ても判らないが、顕微鏡で見ると赤血球を確認できる血尿
2膀胱の中に生理食塩水などを入れて膀胱内を洗うこと
目次
順子さんはご自身のことをどんな性格だと思いますか?
自分で言うのも変な話ですが、若い頃は可愛らしい性格だったと思います。ひとから嫌われることはほとんどありませんでした。私が40〜50代の時に一緒に働いていた方で、いろんなひとにちょっかいをかけているひとがいたのですが、私は何もされたことがありませんでした。その方になぜ私には何もしてこないのかを聞いたら、「いじめ甲斐のない女」だと言われました。その時に初めて、私は普通のひととは違うのかもしれないと思いました。
ここ数年は忘れっぽくなってきていますが、忘れることも悪くないとポジティブに捉えています。全部覚えていたらつらいでしょう。嫌なことは忘れてしまうくらいがいいと思います。
若い頃は他のひとを羨ましいと思うことも多くありました。綺麗なひとを見て、ああいうふうになりたい、とかね。でも、歳をとるに連れてそういう感覚は消えていきました。自分は自分でいいんだといまは思っています。

順子さんの生い立ちについて教えてください。
生まれは大阪で、結婚して岐阜に嫁ぎ、それからずっと岐阜で暮らしていて、69歳の時に上京しました。大阪に21年、岐阜に50年いましたから、私の大阪弁は岐阜弁の訛りが入っているらしく、大阪の友達には変な言葉を喋っていると言われます。
私は割とどこにでも馴染みやすいみたいで、住んでいる場所も大阪でも岐阜でも東京でもどこでも楽しめますね。これから先もずっと東京にいるのか、全然決めていません。なるようになると思っています。
子宮頸がんになった時のことを教えてください。
嫌なことは忘れる方なので、あまりよく覚えていないんです。何か症状があって近くの泌尿器科を受診したらすぐに大学病院を紹介されました。病院を受診したら、内診の時にズボンまで真っ赤になるくらい出血してしまい、即入院になりました。陰部がすごく痛かったような気もします。入院中におしっこを漏らして歩いてしまったこともあって、それを拭いてくれている看護師さんの後ろ姿を、ベッドに横たわったまま見ていた光景は忘れられません。その入院の時はせん妄もあったみたいで、大声で叫んだり、誰かの悪口を言ったりしていたみたいです。後々スタッフの方に「白木さん相当言っていましたよ」と聞いたので、覚えていないけれど、申し訳ないなと思います。

順子さんにとって人生とはなんですか?
思い通りにいかなくて、選ぶこともできないけど、自分だけが歩んでいる特別な道が人生だと思います。死ぬ時にありがとうと言えたらいい人生だと思います。いまの時点では私の人生がいい人生かどうかはわからないけれど、もう1回生まれたところからやり直しても同じ道を歩んでしまいそうです。違う道に進みたいと思っても、同じような人生になっちゃう気がします。
多少寄り道しながらも、人生は基本的には1本道で、決められた道を死に向かって進んでいるのだと思います。若い頃は後悔もたくさんあったけれど、歳をとるとともに「こんなものかな」と思えるようになり、そう思えたら気持ちが楽になりました。
私は自分の理想とする自分にはなれませんでした。でも、たまにテレビドラマの世界に自分がいる夢を見ることがあって、ドラマの中の自分はいい役を演じていて、そうやって客観的に見ると、私はなかなか悪くないキャラクターだと思います(笑)
今後病気が悪化した時には、どんなふうに生きていきたいですか?
身の回りのことが自分でできなくなったら施設に入りたいと思っています。次女には「えー!」と言われましたが、呼んだら誰かがすぐにきてくれる環境の方が、心配性の私には合ってるかなと思います。東京の施設は高いから宝くじを当てようね、と友達と話しています。一緒に入れたら嬉しいけれど、私は誰と一緒でもうまくやっていけるような気もします。延命は希望しません。自然な形で逝きたいと思っています。
それまでの間は、頑張ってひとり暮らしを続けたいです。いまの目標は電車やバスに乗って出かけられるようになって、自分に似合う服を買いに行きたいのと、四谷迎賓館にはまだ行ったことがないので行ってみたいと思っています。向上心があるのって、生きていくのに大事でしょ。

編集:児玉紘一
執筆・文責:むすび在宅クリニック院長 香西友佳
対談日:2025年某月